育児はサポートするじいじばあばにも体力が必要

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(注)4月2日に書いた記事

 

ひとまず、今夜、大阪の娘宅から京都の我が家に帰る。


昨日、入園式が終わったあと、担任の先生と面談すべく教室に移動する時も身をよじって泣き叫ぶ孫を抱っこし続けた結果、筋肉痛になってしまったし、腰も爆弾状態。危険を避けようととっさに身体を曲げたら変なところに力が入ったのだろう、右足をあやうく捻挫をするところだった。


末っ子のせいか、活発で好奇心旺盛。すぐに上の兄姉の真似をしたがる。
動きの速さは半端ではなく、64歳のばあばは、正直、
「あと、5年遅かったら、(この動きに)とうていついていけないかも」
と感じた。
この子の6歳上の兄をみていた時も、
「男の子って目が離せないし、昼寝もあまりしないし、疲れるなあ」
と心でぼやいたが、今回の方がずっとキツいわ。


6年の間にばあばも加齢で体力が落ちたのかしら。


もっとも、晩婚が進んでいる昨今、70歳を過ぎてじいじばあばになる人も決して少なくないんだよね。


二十代の頃、私と同世代の女性は、多かれ少なかれ世間から結婚の圧力を受けたが、あの圧力の中には、じいじばあば側の育児支援への体力的理由もあったのかも知れないと、今になって思う。


写真は一番下の孫。

こどもが苦手なのは、単にこどもに慣れていないだけなのかも。

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(注)4月1日に書いた記事。

 

一番下の孫の入園式から帰ってきた。


両親が共にどうしても仕事の都合がつかないため、ばあばの私が代理で出席した保育園の入園式。


式場に入るや、孫は泣き出した。
抱っこしても、なだめても、ダメ。
標準を上回る体重の持ち主だけに、泣き方と泣き声は迫力があり、正直、こちらが泣きたくなった。
男の子は筋肉量が女の子と違うからか、抱くと腰にズシリとして、その度に腰は苦しげに喘ぐしねえ。


何とか式を終え、担任の先生と面談をすませ、帰り道、公園でパンとジュースだけのランチでホッと一息。
明日からの慣らし保育もこんな感じかしら。


そう言えば、昔、仕事で赴いた近畿地方の某スーパーに、こんな男性がいた。
彼は、子どもの頃から、甘えてきたり寄りかかってくる存在、例えばこちらに尻尾を振る犬や足元にじゃれつく猫などがとても苦手だったそうな。
「どうしてだったんでしょうね? 面倒くさいし、時に恐怖ですらあったんです」。


そんな彼だから、仕事中にも店内を走り回っている幼児がぶつかってきたり、きょうだいで追いかけっこをしているどちらかが奇声をあげて彼に救いを求めるかのように抱きついてきたり、そんなケースに遭遇するたび、内心ではゾッとしていたと語る。


「それが、自分に子どもが出来てみれば、何ともなくなった。本当に、あれは何だったんでしょうね?」


そう、何だったんだろうね?


ただ、もしかすると、少子化の現在、身の回りに子どもがいない境遇にいる人は増えていて、単に子どもに不慣れだけだったのかも知れない。


写真は孫たち。

 

 

子ども目線に、祖父母世代も教えられることがある。

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(注)3月31日に書いた記事。

 

娘宅で真ん中と一番下の3人で留守番。

 


並の男の子より活発な真ん中の孫。

動きが速く、ヤンチャな一番下の孫。

 


しかも!

3人目の孫は通常より体重が多く、抱き上げるたび、治り切っていないばあばの腰は悲鳴をあげる。

 


大丈夫かいな。

早くもヘトヘト。

仕事に行っている方がずっとラク

 


とは言え、子どもの目線は面白く、時に斬新。

祖父母世代も教えられること、たくさんある。

 


プラス、手段がコトバであれ色であれ形であれ音であれ、何かを創造している身には、間違いなくネタの幅が広がる。

 


例えば、おやつに食べるクッキー一つとっても、これがどう作られどのように運ばれたか想像するだけで、物語は出来るし、それを詞にして歌も作れるし、絵本も描ける。

 


さらに、クッキーの別バージョンや美味しい食べ方などを考えてもいいし、出来れば自分たちで実際にクッキーを焼いてもいいね、、、材料を量り温度を設定する過程で計算も学べるし。

 


と、こう考えたら、孫の世話を通し、自分のさらなる成長につなげることも可能だ。

 


写真は、真ん中の孫と一番下の孫。

末の孫。動きが速いっ! ばあばは大丈夫か?

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(注)3月30日に書いた記事。

 

娘宅に来て、最初の日。

 


ん?ん?

何、この速さは?

 


そう!

今回、メインで面倒をみることになる、3人目の孫の動きに、あらためて仰天!

いっときも目が離せない。

 


上に2人のコブ(?)が控えているならではの、この活発さ?

 


ばあばの私は大丈夫かいな。

 


不安になってきたが、なんとかなるたろう。

 


そう暗示をかけないと、じいじ業同様、ばあば業もやってられないよ。

 


写真は、孫たち。

 

保険料が負担〜還暦までに保険料は支払えておくものだ。

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(注)3月30日に書いた記事。

 

来月から職場復帰をする娘の育児支援をするため、娘宅に向かっている。

京都の我が家から片道二時間。

 


これから出番が増えることだろう。

このことは2年前から決まっていたので、仕事縮小はコロナ禍があろうとなかろうと、関係なかったね。

 


4月は7日、推奨販売の仕事をいただいている。

子どもも巣立ち、ローンも、もちろん借金もない。

本来なら、日当×労働日による月収は、年齢を考えたらこれくらいでよいのかも知れない。

私の場合、正社員で勤めていた頃にかけた厚生年金は既に支給してもらっているし。

 


と、ここで

「もうちょっと(収入が)欲しいよー」

と言わしめる原因が、二つの保険料支払いなのだ。

貯蓄型の年金保険と医療保証付きのかんぽ 。

 


来年満期の前者はともかく70歳満期の後者は契約するんじゃなかったな。

日帰り治療が主流となりつつある昨今の医療現場を考えれば決して良い内容ではないし(いや、仮にコロナに感染して入院したら補償されるのか?)、と言って今解約すれば、賭け金に対して大幅に損。

 


ふうむ。

保険料支払いは、生活規模を小さくする60歳までには終えておくものだ、とあらためてみとめた。

 


写真は、我が家の近所に咲く春の野草。

シアワセな人になるにはシアワセな体験をたくさんすること

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今日から4日間、娘宅に。

この4月より娘が職場復帰するため、娘がワーキングマザーとしてのリズムが掴めるまでの、当面の育児サポートだ。

 


娘宅に滞在する間、メインはあくまで孫の世話だが、あと、スープを作ってやろうと思う。

 


キノコたっぷりのクリーミースープ。

片栗粉のとろみが優しい玉ねぎの中華スープ。

飴色玉ねぎが香ばしいオニオンスープ。

胡麻油タラーリの風味が虜になる中華風味噌スープ。

 


あ、スープはもちろん市販のだしを使いますよ、、、朝の味噌汁もね。

家にいて時間がある時は、書き物がてら鶏ガラと野菜クズを煮込んだり、昆布と鰹節でしっかりだしをとるけれど。

 


どれか一つでも「ばあばのスープ」として記憶してくれたらいいな。

 


孫たちが休んだ夜は、持参した本を読むとしよう。

昨夜、思い立って、二十代前半のひととき熱狂的に読んでいたガルシア・マルケス(コロンビア出身のノーベル賞作家)の一冊を本棚から引っ張り出してページをめくりはじめたら、止まらなくなった。

彼の他の著作や、やはり二十代前半に好んでいた本、何冊かピックアップして持っていこう。

 


本を読み、文章を書いていると痛感する。

イイものを書くにはイイものを読むこと。

 


これは、我が反省も込め、子育てにも通用する。

シアワセな人になるにはシアワセな体験をたくさんすること。

大人の責務は、このシアワセな体験を子どもにさせてあげる機会を与えることだ。

斜視のデモンストレーターに学んだこと。

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3月18日の浴室での事故から10日経った。
左目上部の骨を浴槽の壁で強打してコブが出来、そこから内出血して腫れ上がった左目は、繰り返すが回復状態に向かっている。


それでも、まだ、こんもりと盛り上がった瞼。
その厚ぼったい中に我が左目は埋もれっぱなし。
まあ、コブがまだ完治していないから、仕方ないわなあ。


それに、ええか。とりあえずは目が完全に開くようになったのだから。


目と言えば、数年前に出会い、何度か現場を共にした、斜視のデモンストレーターを思い出す。


ぶっちゃけ、軽度の斜視の人ならけっこう見かけるし、女優やタレントの中にもいる。
それを知った上で、最初にくだんのデモンストレーターの彼女に会った時、失礼を承知で思わずエエッと内心で驚き、目のやり場に困ったものだ、、、つまり、彼女の斜視は素人目にも一見してわかるものだったのだ。


そんな私の「エエッ」とは裏腹に、彼女は同業者の私に笑顔で、かつ、屈託ない口調で話しかけてきた。
「はじめまして。〇〇(メーカー名)の△△(商品名)の販売で来ました。よろしく」
と、挨拶からはじまり、次に
「この店、私、初めてなんですよ、、、。えっと、試食調理室はどこか、知ってはります?」
「ここ、ゴミの分別、どうなっているんですか?」
など、宣伝販売を実施するに必要な基本的な事柄を質問。その声とテンポ。実にハリがあり、ハキハキとリズミカル。


売場も、たまたま私の担当売場のすぐ隣。
立っている彼女、元気がいいし、愛嬌はあるし、セールトークはうまいし、当然ながら販売量は上々。その一連を見ているうち、彼女の斜視は気にならなくなった。
「この人はこういう顔。それだけのこと」
そんなふうに思えてきたのだ。
接するお客様もそうだったろう。


人の見た目なんて、そんなものかも知れない。
結局は、仕事の実力と人間性。プラス、個性。
ほら、俳優のオーウェン・ウィルソンだって、高校時代のフットボールの試合で事故って曲がってしまった鼻で、でも堂々とスクリーンに登場し、
オーウェンはああいう顔。それだけのこと」
と、観る者に思わせてしまっているじゃないの。


とは言え、かつてのテレビ番組「ビューティ・コロシアム」(容姿に劣等感を持つ者が美容整形外科をはじめとするスタッフの力で変身する過程を追った内容)みたいなケースもあるから、一概には言えないけれど、、、。


ただ言える。
過度なルッキズム(外見至上主義)は、人種差別ほか、すべての差別に結びつくと。


今回、いろいろと考えさせられた。


写真は、一番上の孫。