介護や看病の本質は、それを担う側の自己犠牲を美談にする風潮の中に隠されてきた。

(注)6月18日に書いた記事。

 

今日からまた連続仕事。

 


夫の病に気をとられ、我が健康の方はほったらかしになっている。

これ、ダメだわ。意識して注意しないと。

 


介護や看病の問題って、そのむかし八代亜紀が歌った「ともしび」の歌詞にうかがえるように、介護や看病を担う側の、多分に自己犠牲的な言動を美化する世間風潮の影に隠れてきた。

そんなものじゃないんだよね、実際は。

アタマで無理やり納得させる食事療法とは?

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(注)6月17日に書いた記事。

 

明日から、また連続仕事。

しかも、このご時世には珍しく、試食を伴う。

 


いや、ご時世ではなく、コロナ禍にも慣れ、「With コロナ」の観点から、それなりのライフスタイルが確立しつつあるのかも知れない。

 


5月15日と16日、進行性大腸癌を患う夫と2人、和歌山県高野山での宿坊体験を楽しんできた。

 


短い時ではあったが、写経、瞑想、精進料理、おつとめ参加、護摩炊き参加などなど、初めて寺で過ごすことを、どちらも楽しんだ。

 


プラス、果物の加糖をも含む糖分は一切ノーの禁止を破り、団子だのわらび餅だのヴィーガンケーキだの食べ、それらの甘味にホクホクしている旦那の笑顔。

こちらも救われたよ。

 


栄養学をも含む医学的にはどうか知らないが、糖分を摂り続けた旦那の脳にはアドレナリン出まくりで、これが免疫力アップにつながる可能性は、、、ひいては癌完治の可能性は、ない?

 


治療食は相応の理論があり、多くの臨床実験を経て生まれたもので、その過程を思えば、はなから否定する気はないんだけれど、、、うーん、どうなんかな、

「まずいなあ、まずいなあ。でも、これも治療の一つなんだよね。我慢せにゃ」

と、食べる側に無理やり「アタマで」納得させたものを実質「食べさせる」食事療法なんか、効果あるんだろうか?

 


写真は、高野山の山椒専門店で食べた、山椒トッピングのソフトクリーム。

これを提供している店で、旦那は、特製わらび餅を食べたのだ。

和歌山県。仕事ではちょくちょく訪れるのに、プライベートでは。

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(注)6月15日に書いた記事。

 

今、夫と共に和歌山県高野山に、高速バスで向かっている。

流行りの宿坊を、一泊二日で楽しむ予定。


和歌山県というところは、同県出身の作家、中上健次もエッセイ中に書いているように、深い修行山もあれば広大な漁場もあるという、山場でも海場でも、さらには平場でも川場でも、つまりとこでも楽しめるスポットを持っている、なかなかに興味深い地である。
当然、食べ物も美味しい。風景も素晴らしい。


特急を使えば日帰り出来ない距離ではないため、仕事ではちょこちょこ訪れている和歌山県
それなのに、プライベートで訪れたのは、65年生きてきた中で、多分10回もないのではないかしら、、、通り過ぎたのみを入れるなら、もう少し増えるかも知れないけれど。


その数少ない和歌山県プライベート旅。
楽しんでこよう。


写真は、高野山への入り口近くの道の駅。

治療食作りの「実験」を楽しいと感じられるようになるまで、どれくらいかかるのだろう?

(注)6月14日に書いた記事。

 

夫の治療食が始まって2ヶ月が過ぎた。まだまだ試行錯誤の連続。下処理や前工程に一手間かかる割には思うような味が出せず、落ち込んだり、時に苛立ったり。


仕事でも、作る料理にまず自分自身が満足出来ないと他人に提供出来ないタイプである。そのため、一度も作ったことがない試食メニューを披露する場合は、必ず自宅で予行演習をしていった。納得する味になるまで、量や火加減を調整しつつ、何度も繰り返す。料理と言うより、理科の実験だった。


そうして得た「データ」をレシピに付加し、現場に立つ。データは我が脳の中では数値化かつ可視化されているから、そりゃもう、絶対の自信ですよ。


逆に言えば、己のカンで初めての料理もササーッと作れる仲間が羨ましかった。
羨ましかったが、その方面のヒラメキはゼロに等しいので、私は私のやり方を通すしかない。


もっとも、料理初心者のお客さんにはすごく喜ばれたけれどね、、、〇〇を大さじ□杯振りかけたらすぐに鍋をゆすって材料全体になじませる、△△がクタっとなるまでは強火で、、、なんて、極めて具体的に説明出来たから(どれも「実験」過程で学んだこと)、
「お姉さんは、親切に教えてくれはるワ」
と、よく言われた。


治療食の「実験」を楽しいと感じられるようになるまで、あとどれくらいかかるのだろう?

家事力は報酬に結びつくスキル。

(注)6月10日に書いた記事。

 

以前、「定年退職後の俺様夫」との同居が耐えられずに熟年離婚をした(10数年前のこと)、他社所属の同業者の話を紹介した。


先だって立った現場で久々に再会した仲間にこの話をしたところ、
「その人、勇気ある。私なら家のことしか出来へんのに1人でやっていけるはずないと考えてしまうけど、その人は逆に家のことが出来るということを売りにしたんや、、、。そこからして、やっぱり違う」。


ですよねー。
もっとも、家事代行業は、今や天下のイ◯ンも参入しているほどの有力ビジネスよ。つまり、家のことが出来るのは、報酬に結びつく立派なスキルなのだ。


ずっと家庭にいた人が、何かのきっかけで
「また働きたい。でも、自分には何の資格も特技もないし、、、」
と悩むケースは多い。結果、医療事務や簿記など、主婦に人気がある資格がとれる講座にお金を払って通うケースも。
それも悪くはないが、もし家事が得意なら、それを活かすのも手。家事全般でなく、料理専門、掃除専門という方法もあるし。


ちなみに、我が親友。某家事代行会社の掃除専門に登録し、
「大好きなお掃除をして、きれいにしてくれたと喜んでもらって、お給料までいただけるなんて」
と、マイペースで仕事を楽しんでいる。

マスクニキビ? 早くノーマスクの社会になって。

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(注)6月10日に書いた記事。

 

昨日に続き、今日も仕事が入ってきた。果物関連を中心に、まずは推奨販売という形で、少しずつ宣伝販売は復活してきている。

 

明日からの2日間、京都府内の、具体的には京都市から急行で30分も走れば着いてしまうまちのスーパーに赴く。

仕事があるのは嬉しいが、別の観点からは、ちと憂鬱になる。マスク付着による弊害である。

 

小鼻のまわりに、痒みを伴ってポツポツ出来た赤いコレって、ニキビですかね? いや、65歳にもなってそれはなかろう。いわゆる吹き出物だ。

 

特に皮膚が弱いわけでもないのに、長時間マスクをつけていると、決まって口から鼻にかけて息苦しさと共にむず痒さが走り始め、そのうち耐えられなくなってこっそりとマスクを外してその部分を掻く。

刺激された皮膚はますます症状を悪化させ、やがて熱を帯びた隆起物となっていく。見た目も、まことに汚い。

 

アトピー性皮膚炎同様、自然塩ペーストで治療出来るが(ただし、相応のヒリヒリ感は覚悟せねばならない)、よくなりかけた時には再び仕事が入って終日マスクをするので、また元に戻る。困ったことだ。

 

ネット検索をかけたら、同じ症状に悩んでいる人は多く、そのほとんどがノーマスクを心より望んでいると思う。

タイミングよく、オカミだって公言してくれたじゃないか、屋外にいても人との距離がとれていたり会話をするのでなければマスクはしなくていい、と。

にもかかわらず、相変わらずほぼ全員がマスクをつけているよね、、、。

 

写真は京都御苑内。本格的な梅雨に入る前、新緑の煌めきを心身に浴びながら、ゆったりとした時間を持ちたい。

地雷を踏んではいけない。

(注)6月9日に書いた記事。

 

登録派遣会社4社のうち、1社から仕事が入ってきて、今月も仕事日は10日。

先月、及び先々月と同じ。

 


夫の療養サポートがある現在、これくらいでいいのかも知れない。

 


ちなみに、先だって我がズボラさを几帳面な夫にきつい口調で指摘されて大喧嘩したのも、明日は遠方に行くので(特急を使っても徒歩時間を入れたら片道2時間半。6時半のバスに間に合わないといけない距離)、昼過ぎから療養のための特性スープを何時間もかけて作っているのに、やれ、匂いがどうの、あと1時間したら患者さんがくるのに鍋も隠していないの(我が家は夫の仕事場の住居が同じ。台所を通って患者さんは2階に上がる)、言い出したので、カッとなったわけ。

片付けが苦手という地雷を踏まれた。

 


この地雷。

実は、私たち販売現場でも、しばしば問題となる。