高年層に向けた、和風チーズフォンデュのすすめ

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(注)2022年12月14日に書いた記事。

 

さて、いよいよ、この9日10日と、兵庫県は宝塚沿線にある百貨店で実施したチーズ・フォンデュのデモンストレーションのレポートといこう。

 


ぶっちゃけ、1日目と2日目とでは、試食人数もさることながら、肝心の販売数に大きく差がついた。

2日目の売上は、1日目の何と4倍だったのだ!

 


これは、1日目が比較的にお客さんが少ない平日だったからでも、有名ベーカリーショップとのコラボ企画の応援がなかったからでもない。

客層、もっと詳細に述べるなら、客年齢層の違いからきたものである。

 


平日に百貨店に足を運ぶのは、年齢が高い方が多い。それもあって、一世帯当たりの家族数は少なめ。単身者や老夫婦2人だけのケースもある。

ここで、生じてくるのだね、、、商品の量の問題が。

我がデモンストレーションを例にとると、せっかくコラボした有名店の美味しいフランスパンにつけたチーズ・フォンデュを試食し、味が気にいっても

「量がねえ、、、。うちはジイさん(ご主人のこと)と2人暮らしだからこんなにいらないわ」

となるのだ。

わかるわあ。かくいう我が家もそうだもの。

 


プラス、加齢の影響もあるのか、一般にチーズのようにこってりしたものはかつてほどにはお腹に入らなくなる。少量でいいのだ。

 


それでも、皆さん、よくご存知でいらっしゃる。

「チーズはカルシウムがたっぷり含まれているから、骨粗鬆症予防のためにも摂った方がいいのよね」。

 


そこで、デモ終了後に書く業務報告書に、内容量を2つに分けることと、年齢が高い目のお客さんに向けた「和風なチーズ・フォンデュ」のメニューを提案したらどうかと書いた。

 


和風チーズ・フォンデュ。作れないことはないと思うよ。ワインを日本酒に変え、チーズに同じ発酵食品の味噌なり出汁醤油なりを加える。具材は、里芋やら人参やらカブラやらレンコンやら。ウィンナーをちくわに、パンを餅に置き換えたら、和風度は一段と増す。

どうだろう? けっこうイケるのではないか。

 


山あり谷あり、さらに沼ありの人生を共に歩んできた熟年夫婦が、共に若い頃には大好きであったろう食材を、現在の自分たちのコンディションに合わせるべくチョッピリとアレンジし、それを囲んでまったりとする。

まことに、ほのぼのとした情景ではないか。

 


写真は、デモを実施した百貨店と連結する駅でのイルミネーション。クリスマスモード満載だね。

 

 

 

「食と日本人の知恵」(小泉武夫 著)

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「食と日本人の知恵」(小泉武夫 著)


著名な発酵学者であると同時に食に関する数々のコラムでも知られる小泉武夫氏が、日経新聞夕刊に連載を持っていたのは、1990年代だったか。
その洒脱な感性とリズミックな文体は多くの人の心をとらえ、本書でもいかんなく魅力が発揮されている。さらに豊富な歴史的資料が提示されており、よって、当書は、食物を切り口にした日本史、文化史、日本人論、日本語論、とも言えよう。


四方を海に囲まれ、豊かな緑と美しい水にも恵まれ、四季がはっきりしている日本。独自の食文化を発展させてきたが、そこには驚くべき先人の知恵と発想があり、それがいかに理にかなったものであったを、梅干しや豆腐、味噌、練り物、漬物、干物、あん、、、なとなど、今も日本人が日常的に食している食べ物を通じて解説している。


なお、本書でしばしば発酵食品の優等生として紹介される「くさやの干物」。
以前から興味があるものの一度も食べたことがないのですが、召し上がったことがある方、いますか?

手作りは自分が楽しんでこそ。

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特別な場合をのぞき、毎水曜日には、自然食品店の通販サイトから無農薬野菜のセットが届く。

今回は、大根やミズナ、ゴボウの他、トマトが入っていた。

よし、これでケチャップを作ろう。

 


ケチャップは、トマトの他、玉ねぎ、ニンニク、酢、砂糖、塩胡椒、ローリエがあれば作れる。

 


手作りケチャップは美味しいよ。

新年早々、おせちに飽きた頃、バジルソースを手作りしたが(松の実の代わりにクルミを使った)、その香りと美味しさに大感動。

市販のバジルソースが、がぜん人工的な味に思えてきたものだ。

 


いや、バジルソースばかりでない。

夫の罹患以来、他のソースもポン酢もドレッシングもつゆもタレも、その大半を手作りするようになった現在、市販品の味に妙な不自然感を覚えるようになった、、、そう、まさしく人工的な味である。

 


ただ、この一連の手作り。

私自身は、大好きな理科の実験をしている気分で楽しんでいる。

これが、仮に強制された行為だったら、非常に苦痛だろうね。

 


この世には、数年前ツィートで拡散された、あの「ポテサラじいさん」のように、

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」

と、赤の他人の生活に、説教めいた余計な介入をする人間が、往々にして存在するものである。

 


彼らの頭にあるのは「Shoud」(べき)と「Have to」(ねばならぬ)思考。

これは、恐ろしいくらいに正義感なり常識なりをセットとして展開されるから、こちらはまともに取り合ったら為すすべもない。

 


人間はリラックスしている時こそ実力を発揮出来るのだとの記事を依然にかいたけれど、これは、楽しいことをしている時にも通じるよ。

 


アナウンサーの木元敦子が、共働き時代、仕事から帰って食事の準備をしている時、

「もうイヤっ」

と、玉ねぎを切っている最中にブチ切れたら、上の息子さんに

「ママがイライラしながら作ったものなんか食べたくない。僕たちはママがニコニコして作ったのなら、インスタントラーメンでもいいんだ」

と言われてハッとしたそうだが、うーん、そうなんだよな。

 


真面目な日本人。もっと、人生を良い意味でルーズにアレンジしていい!

 


写真は、1番下の孫。

派遣会社を複数掛け持ちするのは、リスク対策。

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1月の仕事を打診された。

それが、はぁ(溜息)、がんじがらめのルールでやかましい、あの大手チェーンのデモなんだわぁ。

はっきり言って、気がすすまない。


もっとも、ここから打診があったということは、他の派遣会社からもいずれはあるということだぞ。

もう少し様子をみるとしよう。


こういう時、複数の派遣会社を掛け持ちしていて本当によかったと思う。

登録が1社だけだったら、こちらで仕事を選ぶことは難しいやね。

依頼された仕事は、どんなに気に入らなくても

「受けないと次はないかも」

みたいな心理になってしまうやね。


何よりリスクが大き過ぎる。

こんなご時世。デモンストレーター派遣会社もどうなるかわからない。1社登録だったら、そこがなくなったらすべての仕事を失ってしまうからね。


それに、このチェーンの現在のデモの様式で、果たして試食の効果は出ているのだろうかと、大いに疑ってしまう。


まあ、ここががんじがらめのデモンストレーションルールをもうけたのは、コロナ対策と同時に、デモンストレーション業務の寡占化をすることによって厳しくなってきたチェーン全体の利益を守るという理由もあるんだと思う、、、あくまで我が憶測だがね。


つまり、

「うちのチェーンでデモをするメーカーは必ずうちのデモ専用子会社である〇〇を通すこと」

にしたら、そのぶんデモ専用子会社の〇〇の利益が増えるわけで、ひいては、チェーン全体の利益になるよなあ、、、デモンストレーション費用を出すのはあくまでメーカーだもの。よそのデモ派遣の会社やエージェントに依頼されたら、その金が〇〇に入ってこないのだ。


どうなることやら。

ま、中途半端に働いても税金でがっぽり持っていかれるわけで、本当にもう少し考えるとしよう。


写真は、大阪は守口市で仕事をした時に撮った、守口市ご当地キャラのもり吉。

 

おのおのが風通しのよい正月を〜昭和な正月は卒業。

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振り返れば、コロナ禍が襲うまで、年末はよくおせち料理、正確にはおせちの具材の販売(出来上がり品)を担当していたものだ、、、黒豆とか昆布巻きとか田作りとか紅白なますとか。

購入されるお客さんは、60歳以上の高年女性が比較的に多かった。

 


「結婚以来、毎年作っていたんだけれど、もうこの年になると全部を作るのはしんどくってね。家の味にこだわっていた主人も、簡単な品だけ作って後は市販のものを買って(お重に)詰めたらエエやないか、と言うてくれるようになって」

あるお客さんはおっしゃった。

「それに、一生懸命に作ったって、帰省してくる子どもや孫は、伊達巻きくらいしか喜ばへんのよ。確かにおせちの品って若い人や子どもにはちょっとね! やから、食べる人は私と主人だけ。少しでじゅうぶんやねん」。

お客さんは、「手作り品半分・市販品半分」のおせちを作るようになった結果、空いた時間でゆったりと1年を振り返ることにしていると言う。

「舅姑がいた頃は、暮れから親戚の子どもたちが泊まりがけでやってきて、親は元旦から。年末年始は私はそれこそ座って食事をする時間もなく、忙しいとぼやく暇もなかったけれどね」。

 


ここで思い出したのは、西日本の某市出身の友人の言葉。

「私は年の暮れから正月明けにかけての数日間が、1年のうちで1番キライだった。(家が)本家だったんで、正月には親戚一同が集まる。祖父母のお気に入りだった父の妹、つまり叔母なんか、仕事が休みになった翌日の29日から子連れでやって来て泊まり込む。祖父母はあの子は女手1つで子どもを育てているさかいにこんな時くらい休ませてやれと、叔母が横になってグウタラしていても何も言わない。で、私は母を手伝って、掃除したり洗濯物を干したり風呂を沸かしたり。元旦は1日中料理のお運びさんよ」。

 


ふうん、、、。気持ちはわかるよなあ。もっとも、私たちの年代で地方に住んでいた者には、ある意味で郷愁をも感じさせる光景なのだが、、、。

 


時代は令和。おせちといい年末年始の家族や親族との交流といい、ぎょうじょうしく重々しくもあった「昭和的なる慣習や儀礼」は排し、おのおのが風通しのよい正月を楽しんだらよいのだ。

 


写真は、おせち料理(Public Domain)

 

プロの販売員とは、お客さんの共感を呼び起こすことが出来る人。

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昨日の投稿で、21世紀以前、すなわち20世紀までの映画は全般に骨太というか基本がしっかりしており、それゆえ作り手も良くも悪くもプロなのだ、と書いた。

これを、私たちデモンストレーターの仕事にあてはめて考えると、こうなる。

 


その前に、「良くも悪くもプロ」の意味合いについて少し。

 


「金銭報酬があるからには、職種は何であれすべての労働者はプロでなくてはならず、自分の仕事には相応の覚悟と技術、知識を持つべき」

なる通説は、医師や溶接工などの職人的な技をも要求される仕事においては正しくとも、芸能人に代表される、多分に感性的要素を持つ仕事には、必ずしも正しくない。

ぶっちゃけ、素人でもよく、場合によってはそちらの方が新鮮味があって、むしろ(仕事に)こなれていないぶん、素人であることが個性になったりする。

私たちデモンストレーターの仕事も、実はこの後者とクロスする部分が、とても大きいのだ。

プロであることは、メリットであると同時にデメリットにもなりうるのだね。

 


ここで、皆さんに約半世紀前にタイムスリップしていただこう。

現在65歳の私が15か16歳の時だったか。某民放テレビ系のホームドラマに出演していた浅田美代子が、シングル盤をレコーディングし、歌手としてもデビューした。

 


これが、まあ、下手も下手。声も出ていなければ音程も不安定。いくらエコーを効かせてもごまかしようがないほど。

それでも、彼女が歌う「赤い風船」は大ヒットした。

なぜか?

愛くるしいルックスも含め、彼女が聴衆の共感を得ることに成功したからである。

 


恐らく、浅田美代子自身も、自分の歌唱力については知っていたに違いない。

そのせいだろう。ステージで少し硬い目の笑顔でたどたどしく歌い、やはりたどたどしくフリをつけながらも、時折り、

「私、このまま歌い切れるのかな」

みたいな不安気な表情を浮かべることがあった。

これが、聴衆の心をとらえたのだ。

 


「大丈夫よ、最後まで歌えるよ」

「美代子ちゃん、がんばれ」

「一生懸命に歌えば、それでいいんだよ」

「美代子ちゃん、応援しているからね」

 


これが、歌う側(浅田美代子)と、聴く側(聴衆)との「共感」でなくて何であろう。

 


もちろん、美空ひばりみたいに堂々たる実力を誇る歌手も

「さすが、ひばりさん」

「歌謡界の女王だわなあ、この歌いっぷりは」

と、聴衆の共感を得ることには長けている。

要は、歌う側と聴く側が同じ時間と空間と感情を共有していること。

これなのだ、共感は。

 


デモンストレーターの仕事にも、多分にこんな面がある。

お客さんから見ても販売の素人ではあるが、それなりに精一杯にやっている。

「ようやってはるなあ。めちゃ高いもんやなし一個ぐらい買うたろやないか」

となり、反対に達者なセールトークを披露されても、お客さんは

「うまいこと言わはるなあ。敬意を表して、一個買うわ」

となる。

どちらも、お客さんと販売員との間に「共感」が存在している。

 


でね、私個人の見解としましては、AIDMA(アイドマ)だとか何だとかのセールステクニックを持ち出さなくても、お客さんの共感を呼び起こせる販売員はプロだということです。

お客さんの共感を得る。

すべての販売は、ここから始まる。

 


写真は浅田美代子(ソニー・ミュージックより)。

 

基本がしっかりしているということ。

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正月が終わって、はや4日。
いくら何でも、正月ゆえの浮かれ気分は、もう卒業しないといけない。


我が家は、繰り返しになるが、夫が術後2ヶ月半も経っていないので、例年なら暮れから娘一家がやって来て正月が終わるまでいるところを、今年は夫婦2人だけの静かなお正月。
気分的にも体力的に本当に楽な正月だった(娘一家には少し悪いけれど)。


で、ずっと映画三昧。寅さんや家庭ものやコメディやアラン・ドロンの昔の映画や西部劇や「タイタニック」みたいな大長編ものなどなど、たくさんたくさん観たものだ。


ここで、あらためて感じた。
20世紀までの映画は、骨太と言うか、構成がしっかりしていて(起承転結にメリハリがあるということ)、まさに「映画」という感じだと。


このことは、20世紀中は現在みたいにネットで映画鑑賞も出来なかったし映画館気分を味わえる大型テレビもなかった、そうした要素も関係しているのではないか。
すなわち、映画を観ることはまだまだ非日常的な行為であったため、(映画を)製作する側も相応に特別な訓練を積んだ人たち、ずばり、良くも悪くもプロであったということだ。
物事の基本がしっかりしているのだね。


基本がしっかり。
これを私たちの仕事に照らし合わせ、考えてみたい。


写真は、映画「タイタニック」より。
今さらながら、レオナルド・ディカプリオってイケメンだなあ。