生きとし生けるものと、大自然への感謝の気持ちが、いま必要?

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その昔、負債を返しながら娘の教育費を捻出していた時、私は茶殻ひとつ無駄にしなかった。
甘辛く煮て佃煮を作ったり(ただし高級な茶でないと美味しくない)、乾燥させて挽いてふりかけにしたり、それほど良いお茶でない場合は入浴剤代わりにしたり、とにかく節約を心がけていた。


野菜くずスープを知ったのもこの頃。
料理を作るたびに出る野菜の根っこや皮や芯などのくず。捨てる前にもうひと働きしてもらうのだ。
野菜くずをある程度ためておき、少量の酒と共に弱火で20分ほど煮て、こす。野菜の旨味が滲み出た美味しいスープの出来上がり。
私はそのまま飲むけれど、味噌汁や煮物などにも使える。


コロナで経済が逼迫してきたため、またココロが節約モードに入り、家に篭らねばならない状況もあり、このところまたこういう「貧乏食」(?)をさかんに作っている。
ま、もともと山野草を使った食べ物や飲み物が大好きな人間であることからもうかがえるように、基本的に粗食志向ではある。


ふと思った。
この、本来は捨てる部分を使った食べ物は、血圧をはじめ、健康にもよくはないかと。
この世は、構成バランス上、例えば雑草みたいに粗末にされてないがしろに扱われている存在も絶対に必要なのだが、実はそういうものにこそ、虐げられているがゆえの「強さ」が秘められているのではないか。


ドクダミだってそうよ。離れたトイレの庭など、ジケジケした場所によく生え、独特の匂いもするので敬遠されがちながら、ジュウヤクなる別名が示す通り、健康には極めて良い草だ(便秘気味の友人は未だ時折りドクダミ茶のお世話になるそうな。ただ、彼女は薬局で既にお茶になったのを買っている)。


捨てる部分を使ったり、自生しているものを使って食料や飲料を作っていると、ごく自然に
「ありがとう」
「いただきます」
の言葉が頭に浮かんでくる。
みんなイノチ。上も下もない。何かしらの使命を持ち、支え合いながらこの小さな星に生きている。


コロナ疲れが取り沙汰される昨今、この生きとし生けるものすべてと、それを包みこむ大自然への感謝の気持ちが、1番必要とされているのかも知れない。


写真は、鴨川にて。