地域型スーパーは独居老人の社会的孤立のセイフティネットにも

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唐突に8月の仕事が入ってきた。
景品付きの推奨販売。店舗は大阪の都心にある。
マスクとフェイスシールド必須とは言え、素直に嬉しい。
あまりに長く休むと、仕事のカンも鈍るし、その前に仕事をするモチベーションも萎えてくるからねえ。


さて。
昨日の続き。


ネットショッピングが普及したこともあり、必ずしも店に足を運ばなくてもものが買える時代になった。とは言え、これまでのアナログな店頭販売がなくなることは決してないと思う。


買い物って、単にモノとカネとの交換ではないんだよね。モノを通して、個人的な話題をも含めた情報や感情の交換でもあるのだ。


それに、地方のスーパーや町中でも地域密着型の小ぶりな店舗などでは、実質お年寄りの社交場になっている店もあり、それはそれでちゃんとした存在意義がある。


ある高齢のお客さんが私にこう言ったことがある。


「足と腰が悪いから、ヘルパーさんに買い物してきてもらうことが多いねんけれど、パンやお菓子くらいなら私でも持って帰れるさかいに、1日に一回、何とか歩いてここに来ることにしてんねん。外に出んかったら、身体、なまってまうし、店に来たら顔なじみの人やレジさんが声をかけてくれるんで、それも嬉しぃてなあ」。


これ、これなんですよ。
特に1人暮らしの高齢世帯においては、スーパーが彼らの社会的孤立のセイフティネットになっているケースが、決して少なくない。


知り合いに会って世間話に興じたり、時に顔を見せない子どもや嫁への愚痴をこぼす(!)のは、独居老人の気晴らしとストレス発散になるし、その知り合いの顔をしばらく見なければ、馴染みの店員ともども
「元気にしとるんかな。風邪でもひいとるんやろうか」
となり、さらに来店しない日が続けば
「心配やなぁ、、、。近くに住んでいると言っていた〇〇のおばあちゃんに聞いてみようかな。何か知ってはるかも」
となる。
その店を拠点に出来上がっているコミュニティが、個人を孤立させないのだ。


買い物もスーパーも本来の役割以外の役割を担うこと、確かにある。


写真は、昨年の今頃に仕事で訪れた滋賀県東近江市八日市にて。
ちょうど八日市聖徳祭の日だったのだが、今年はこの祭りもコロナで中止だろうな。