書くことはライフワーク。

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(注) 12月1日に書いた記事。

 

一年最後の月、12月。
その最初の日である今日は、感染者激増の大阪にある某スーパーで推奨販売の仕事。
現在、現場に向かっている。


以前、ブログとは別に、試食販売員としての目線からフィクションを書く計画がある、と記事の中で述べた。


ハイ、計画は順調に進んでおりますよ。
フィクションを書くのは初めてではなく、人それぞれやり方があるだろうけれど、私の場合はいつも、テーマに沿って基本プロット(起承転結)を立て、大まかなストーリーをえがき、登場人物のキャラクターが決まったら、後は勝手に映像として個々のシーンが流れはじめる。
そのシーン(詳細プロット)を、手帳なり携帯のメモアプリなりに、おおよそでいいから順不同に記録していく(セリフなども浮かんだら書き留める)。
ハイ、今はこの段階でございますよ。
すべてのシーンを書き終わったら、それを整理して、いよいよゴー。


ただ、今回はストーリーがやけに先行してしまった感がある。
「ゲーム好きの親に放っておかれて店の試食でお腹を満たしていたあの子。もう成人しているだろうが、どんな大人になったかなあ」
と想像していたら、いつのまにかストーリーが出来てしまったんだから。


フィクションに対し、ブログなどの「綴り方」も含むノンフィクションは、テーマに沿ったファイルが脳内の記憶書庫から選び出されると、勝手に言葉と言葉が組み始める。
同じ書く作業でも、脳をめぐる回路は少し違ってくるようだ。


ただ、どちらも、基本は普段からよく取るメモ(アナログ、デジタル、どちらでも)。


メモ魔は生まれつき?
いえいえ。


もうカミングアウトしてしまうが、メモ魔は、我がADHD対策の結果としてのメモ魔(病院で診断されたことはないが、性格とこれまで生きてきた軌跡を振り返れば、私はかなり高い確率でADHDだと感じる)なのだ。


手帳に記入する内容を、「仕事」「家事」「その他プライベート」の3点に分け、おのおの色別にしているのも、そう。
また、金銭の支出入を青と赤で分けているのも。


さらに、本を読む時に付箋を貼るのも、ADHD対策。
うっかりミスや早とちりをせず、記憶を確かに定着させるためだ。


もっとも、上にあげたこれらすべてのことが、「書く」上ではプラスに働いているのは、なんとも皮肉なこと。
とは言え、「書くこと」はライフワークだ。


写真は、京都御苑にて。