(注)5月27日に書いた記事。
就職した年に古本屋で見つけて買い求め、苦労して読み終えたグレアム・グリーン原作「情事の終り」を、41年ぶりに、やはり苦労しながら読み返している。
22歳の時も、64歳の時も、なぜ「苦労しながら」なのか?
文章自体がわかりにくいから?
物語の思想的バックボーンであるカトリック教の基礎知識がないから?
恐らくその2つの理由もあいまってなのだろうけれど、登場人物たちにイマイチ感情移入できないから?
それでも、「苦労しながら」であっても、眠気や苦痛とは昔も今も無縁だから、そこそこはオハナシを理解出来ているのかな?
とは言え、読みやすくないことだけは確かで、そんな文章は他にもあるね。
私の場合、携帯やパソコン、ネット関連の説明書や解説書がそうだ。
こちらは、文章がどうの表現がこうのではなく、カタカナで書かれた専門用語に引っかかって前に進めない。で、その専門用語を調べているうちにまたもやカタカナの専門用語が出てきて、それを調べていたらまたまた、、、というパターン。
しまいに嫌気がさし、睡魔がやってくる。
確か、暮れに某現場で会った他社所属の同業者も同じことをこぼしていたな。
アフター・コロナのデモンストレーションはある程度のデジタル機器操作が出来ないとつとまらないだろう、と予測している人は私以外にもいて、彼女は昨年秋に思い切ってスマホデビューしたそうな。
ところが、添付のマニュアルを読んでもわからない箇所がある。
「コロナ以前には高齢者のためのiPhoneや iPadの教室が私の町でも開かれていたけれど、今は臨時休業している」
仕方なく、スマホ購入の時に付き添ってくれた、女子大生のお孫さんに尋ねるのだが、お孫さんも何かと忙しい。
「マニュアルを読んでいるうち、頭の中がクルクル回ってきて。どうして、あんなにわかりにくいのかなぁ?」
そうですよ。若い人には何ともないことでも、高齢のキカイ音痴にはチンプンカンプンということ、決して少なくない。
ふうむ。何か工夫はないものですかね?
テクニカル・ライターの方々のアイディアと奮闘に期待したい。
高齢の人もたやすくスマホが使えたら、彼らの視野も行動範囲も広がり、若い人たちとクロス出来る部分も出てきて、お互いに助け合えると思うよ。
写真は、1番上と真ん中の孫。