かつて庶民社会にリメイクは根付いていた。

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アクセサリーのリメイクについて書いていて、思い出した。
昭和の、少なくとも50年(1975年)前後までは、日本の庶民社会にリメイクはしっかり根付いていなかったかしら?


例えば、着古した着物や編物をほどいて、別のものに仕立て直したり。
例えば、お父さんの古いシャツから子どものワンピースを作ったり。
例えば、しめなくなった帯でバッグを作ってみたり。


食べ物もそうだ。
正月を過ぎても残って古くなったお餅は、おへぎやあられに姿を変え、おやつとして食べられたし、主に滋賀県北部から北陸にかけて親しまれている「贅沢煮」も古漬けたくあんのリメイクだ。


まあ、一応先進国とされる日本ですら、一部の階級をのぞけば、食料も含めた「モノ」がないのが当たり前の時代が続いたからね。リメイクは、生活する上での必須要素だったのだ。


リメイクの利点は、モノをとことん使い切るから節約になるし、引いては地球のエコにも貢献する、ということ。


ただ、衣類関連のリメイクは、一定水準に達したソーイング技術とセンスを要するため、誰にでも出来るものではないね。ここが難点。


そこへいくと、食べ物関連のリメイクは、料理に関心があれば比較的簡単にメニューが思い浮かべられるし、創意工夫次第で立派な一品になる。


第一、カレールウの残りが、カレードリアやカレーコロッケやカレーうどん(そば)、その上、カレーチャーハンやカレートーストにもなるなんて、想像するだけで、ワクワクするじゃないの。


写真は、亡母が50年ほど前、ほどいた毛糸衣料(カーディガンなど)の余り毛糸を総動員して編んでくれたセーター。
いろいろな色が混ざっているのは、その理由による。