ある熟年離婚。

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十数年前の真冬だったか。

 


大阪府中部の某スーパーマーケットにて3日間キムチ鍋の宣伝販売を担当した際、隣り合わせの売り場でポン酢をデモンストレーションしていた他社のデモンストレーター熟年離婚者だったことが、昼休憩のお互いの何気ない会話からわかった。

 


彼女によると、離婚したご主人は、もともと俺様的な性格の持ち主だったとか。

「それを見抜けなかったのは、お見合いで、幾度も会わないうちに婚約してしまったから」

と語る。

 


「大学を出て中学校の家庭科教員になり、仕事は楽しかったんだけれど、いわゆる適齢期を過ぎかけ、自分でも焦りがあって。あの頃は女性の結婚に対する周りからのプレッシャーは凄かったのよね」。

 


ああ、わかります、わかりますとも。

女性クリスマスケーキ説(24までは売れるが25になるとさっぱり)が生きていた頃で、多くの女性がそれに苦しめられたのだ。

 


俺が、俺がの旦那さん。定年退職後、在宅時間が増えると、それが加速した。

家でゴロゴロしているくせに、「おいお茶」「おい煙草」「おい新聞」と呼び立てる。

度重なるうち、仕事仲間は、

「短い余生。こんな男の世話をして生きたくない」


と別れたそうな。

独立した子どもさんたちも

「お母さんの好きにしたら」

と、背中を押してくれた。

 


家事が大得意で人付き合いも好きだった彼女は、ご主人が定年退職する数年前から、地ならしの意味で月に1度か2度、知人の紹介で登録した派遣会社を通じ、デモンストレーターの仕事をこなしていた。

離婚後は、デモンストレーター業を増やしてもらうと共に、その頃でいう家政婦派遣にも登録。

 


もう快適そのものと話していた。

「あのままじゃ、私は旦那の女中代わりに使われて、しまいにシモの世話まで怒鳴られながらやらされていたやろ。長生きしたかて後二十年ちょっとの人生やのに、そんなん絶対にゴメン。さんざん我慢してきたから、最後の最後は楽しく自分のために生きたい」。

 


ずいぶん勇気があるなと驚くと同時に、よほど耐えてきたんだろうなと思った。

 


写真は真ん中の孫。