(注)11月11日に書いた記事。
どうこう言っても、お米は日本人の心の故郷。1957年生まれの私が子どもだった頃に比べると、パン食は比較にならないくらいに普及した(しかもパンそのもののバリエーションも豊かになってきている。私の少女時代には、少なくとも農村や地方のちょっとした町ではパンと言えば食パンか給食に出てくるロール型のパンが主で、あとはあんパンなどの菓子パンやサンドイッチ、せいぜいホットドッグくらいしかお目にかかることがなかった)し、パスタ(昔はスパゲティと言っていたな)をはじめとする麺類も然り。
それでも、そんな令和の時代においてさえ、少量の塩とともに手のひらサイズに握って海苔を巻いたおにぎりに親しみを覚えない日本人は、世代を問わず、ほとんどいないのではないかと想像する。
故郷ゆえ、こだわり(好き嫌い)が生じる。
「米どころ出身の私が食べてきた米は、もっとまったりとした風味だった」
とか
「私は〇〇米でないと食べられへんねん」
とか。
心象風景も含めて、「故郷」とは、そんな偏狭さをも内包するものだ。
とは言え、ほぼ20年デモンストレーターをしてきて、米の宣伝販売も数限りなくこなしてきた私には
「日本人が美味しいと感じる米」
には、一定の共通点があると感じられる。
それは、ズバリ、「粘っこさ」。
もっちりとした粘り気があり、食べると、口中に米本来の甘味がふんわりと広がる。
これが、基本中の基本路線。
ここに、粒の光沢感や形の美しさ、ほのかに漂う香があれば、尚よし。
地方に方言があるように、米にもそのお国ならではの風情がある。
仕事絡みではあっても、日本各地の米を実際にカラダで体験出来るということは、幸せなことだね。
写真は、典型的なおにぎり(Wikipediaより)。