昨日の投稿で、21世紀以前、すなわち20世紀までの映画は全般に骨太というか基本がしっかりしており、それゆえ作り手も良くも悪くもプロなのだ、と書いた。
これを、私たちデモンストレーターの仕事にあてはめて考えると、こうなる。
その前に、「良くも悪くもプロ」の意味合いについて少し。
「金銭報酬があるからには、職種は何であれすべての労働者はプロでなくてはならず、自分の仕事には相応の覚悟と技術、知識を持つべき」
なる通説は、医師や溶接工などの職人的な技をも要求される仕事においては正しくとも、芸能人に代表される、多分に感性的要素を持つ仕事には、必ずしも正しくない。
ぶっちゃけ、素人でもよく、場合によってはそちらの方が新鮮味があって、むしろ(仕事に)こなれていないぶん、素人であることが個性になったりする。
私たちデモンストレーターの仕事も、実はこの後者とクロスする部分が、とても大きいのだ。
プロであることは、メリットであると同時にデメリットにもなりうるのだね。
ここで、皆さんに約半世紀前にタイムスリップしていただこう。
現在65歳の私が15か16歳の時だったか。某民放テレビ系のホームドラマに出演していた浅田美代子が、シングル盤をレコーディングし、歌手としてもデビューした。
これが、まあ、下手も下手。声も出ていなければ音程も不安定。いくらエコーを効かせてもごまかしようがないほど。
それでも、彼女が歌う「赤い風船」は大ヒットした。
なぜか?
愛くるしいルックスも含め、彼女が聴衆の共感を得ることに成功したからである。
恐らく、浅田美代子自身も、自分の歌唱力については知っていたに違いない。
そのせいだろう。ステージで少し硬い目の笑顔でたどたどしく歌い、やはりたどたどしくフリをつけながらも、時折り、
「私、このまま歌い切れるのかな」
みたいな不安気な表情を浮かべることがあった。
これが、聴衆の心をとらえたのだ。
「大丈夫よ、最後まで歌えるよ」
「美代子ちゃん、がんばれ」
「一生懸命に歌えば、それでいいんだよ」
「美代子ちゃん、応援しているからね」
これが、歌う側(浅田美代子)と、聴く側(聴衆)との「共感」でなくて何であろう。
もちろん、美空ひばりみたいに堂々たる実力を誇る歌手も
「さすが、ひばりさん」
「歌謡界の女王だわなあ、この歌いっぷりは」
と、聴衆の共感を得ることには長けている。
要は、歌う側と聴く側が同じ時間と空間と感情を共有していること。
これなのだ、共感は。
デモンストレーターの仕事にも、多分にこんな面がある。
お客さんから見ても販売の素人ではあるが、それなりに精一杯にやっている。
「ようやってはるなあ。めちゃ高いもんやなし一個ぐらい買うたろやないか」
となり、反対に達者なセールトークを披露されても、お客さんは
「うまいこと言わはるなあ。敬意を表して、一個買うわ」
となる。
どちらも、お客さんと販売員との間に「共感」が存在している。
でね、私個人の見解としましては、AIDMA(アイドマ)だとか何だとかのセールステクニックを持ち出さなくても、お客さんの共感を呼び起こせる販売員はプロだということです。
お客さんの共感を得る。
すべての販売は、ここから始まる。