おのおのが風通しのよい正月を〜昭和な正月は卒業。

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振り返れば、コロナ禍が襲うまで、年末はよくおせち料理、正確にはおせちの具材の販売(出来上がり品)を担当していたものだ、、、黒豆とか昆布巻きとか田作りとか紅白なますとか。

購入されるお客さんは、60歳以上の高年女性が比較的に多かった。

 


「結婚以来、毎年作っていたんだけれど、もうこの年になると全部を作るのはしんどくってね。家の味にこだわっていた主人も、簡単な品だけ作って後は市販のものを買って(お重に)詰めたらエエやないか、と言うてくれるようになって」

あるお客さんはおっしゃった。

「それに、一生懸命に作ったって、帰省してくる子どもや孫は、伊達巻きくらいしか喜ばへんのよ。確かにおせちの品って若い人や子どもにはちょっとね! やから、食べる人は私と主人だけ。少しでじゅうぶんやねん」。

お客さんは、「手作り品半分・市販品半分」のおせちを作るようになった結果、空いた時間でゆったりと1年を振り返ることにしていると言う。

「舅姑がいた頃は、暮れから親戚の子どもたちが泊まりがけでやってきて、親は元旦から。年末年始は私はそれこそ座って食事をする時間もなく、忙しいとぼやく暇もなかったけれどね」。

 


ここで思い出したのは、西日本の某市出身の友人の言葉。

「私は年の暮れから正月明けにかけての数日間が、1年のうちで1番キライだった。(家が)本家だったんで、正月には親戚一同が集まる。祖父母のお気に入りだった父の妹、つまり叔母なんか、仕事が休みになった翌日の29日から子連れでやって来て泊まり込む。祖父母はあの子は女手1つで子どもを育てているさかいにこんな時くらい休ませてやれと、叔母が横になってグウタラしていても何も言わない。で、私は母を手伝って、掃除したり洗濯物を干したり風呂を沸かしたり。元旦は1日中料理のお運びさんよ」。

 


ふうん、、、。気持ちはわかるよなあ。もっとも、私たちの年代で地方に住んでいた者には、ある意味で郷愁をも感じさせる光景なのだが、、、。

 


時代は令和。おせちといい年末年始の家族や親族との交流といい、ぎょうじょうしく重々しくもあった「昭和的なる慣習や儀礼」は排し、おのおのが風通しのよい正月を楽しんだらよいのだ。

 


写真は、おせち料理(Public Domain)