鮭の宣伝販売を担当していて、ふと記憶に蘇ったことがある。
確か、明治半ばに、処女作「浮雲」を通して言文一致(話し言葉に近い口語体で文章を書くこと)の大偉業を成し遂げた作家、二葉亭四迷が最後に書いた小説「平凡」は、しがない小役人の元文士(主人公)が、勤めを終えて竹の皮に包んだ鮭を買って帰るところから、始まっていたよね?
竹の皮。タケノコが若竹に成長する過程で落ちるタケノコの皮で、通気性がよくて抗菌作用もあることではあり、パックだのラップだのなかった当時は、鮭に限らずおにぎりや寿司など、食べ物をくるむ容器とされていた。
これ、現在にすればエコそのものじゃないかしら、、、竹の皮なんて、タケノコが終わった後の竹林に行けばいくらでも手に入るものだし、使った後も洗って干せば繰り返し利用できるし、いよいよ捨てる時も土に還ってくれるしね。
弁当屋でもスーパーなどのデリカ部門および生鮮部門でも、現在ではほとんどが食品はプラスチック製のトレイとフタ、すなわちパック容器に入れられる。
この多さが問題となっている現在、昔の知恵である竹の皮を、少し考え直してもいいかも知れない。
写真は二葉亭四迷(public domain).