
数日前、京都市内にある、女子教育に長い歴史と伝統を誇る大学の閉鎖が発表された。
少子化を反映してか、ここ数年は多いね、こういう話。
もっとも、閉鎖なんて、店舗の場合は決して珍しくないよ。
あと、他店舗との合併、はたまた渡譲(△△チェーン〇〇店がイ◻︎ン〇〇店になるとか)。
デモンストレーターになって22年目。近畿地方を中心に、時に北陸や中部、または中国地方にも足を伸ばしながら、あの町この町その町のスーパーやデパート、ドラッグストア、ホームセンターなどを仕事で訪れてきた。
正直、なくなってしまった店、かなりある。
なくならないまでも、店名がまるで変わったり、他の業種の店舗と一緒に再編成されて◇◇タウンなる商業施設の一角になったりして、当時の面影が全くない店となると、うーん、どれくらいの数になるのかしらね?
なくなってしまった店のほとんどは、人口減少が目立つ過疎地にある店。人口が少ないということは消費も少ないということで、当然ながら売上高にも影響するから、利潤追求が第一目標の店にすればいたしかたがない面もあるんだろう。
とは言え、過疎地に立つ店には、立場上、営利以外の役目も担っていることが多い。
その1つが、住人のライフラインを維持すること。
ここで、少し想像して欲しい。
自分の住んでいる町に、スーパーなりコンビニなり個人のよろず屋なり、要は衣食住の生活に必要な品を扱っている店が一軒もなくなってしまった時のこと。
自給自足で暮らしている(令和の現在でも、ほぼこのスタイルの生活を営んでいる人は、ごくごく少数ながら存在する)のならともかく、そうでない人、つまりほとんどの人はおそろしく不便になるはずだ。
田畑を持っているおかげで米をはじめ基本的な野菜には不自由しなくても、それですべての食料がまかなえるわけではないだろうし、身につける衣類やその衣類の汚れを落としたり修繕したりするものもいる。
あと、ティシュやら電池やら、その他もろもろ。
車の運転が出来る人やネットが使える人なら、これらライフライン必需品を地元で調達しなくても何とかなるが、そうでなかったら?
ついでに、体力はもちろん新しいものを覚える気力も衰えていくのが人間。
遅かれ早かれハンドルは握れなくなるし、ネットも難しくなる。
人口減に付随して利益もあがらなくなったからとて、過疎地で店をなくしてしまうことは、その他に住む人にとっては甚大な影響を及ぼすのだ。
写真は、近江鉄道沿線沿いにある豊郷で写したもの。
ここも、過疎化が進行。
デモンストレーターになりたての2004年、この地にあったスーパー(現在では店名が変わっている)に豆乳や歯磨き粉の宣伝販売で何度か行き、実に19年後の2023年7月に、今度は冷凍食品の宣伝販売で足を踏み入れてみて、はっきりと「過疎」を感じた。