
過疎地で店がなくなるということは、具体的にどんなことか。
前回は、物質的な不便さを述べた。
今回は、そのことに伴う二次現象、並びにデメリットを述べたい。
過疎地とされるスーパーで試食販売の仕事をしていて、しばしば、店員とお客さんとの間でこういう会話がされるのを聞いてきた。
「なあ、〇〇のおばあちゃん、最近、みいひんね。元気にしとるんかな。心配やわ」
「そう言えば、ゴミ捨て場にも、前は押し車にゴミ袋を乗せて捨てに来ていたのに、この頃は、、。ちょっと、今日、買い物の帰りにのぞいてみるワ」。
おわかりだろうか。
過疎地の高齢者にとって、スーパーは単に買い物をするだけの場ではない。
自分ないし他人の安否を確認しあい、店員やそこに来た自分以外の買い物客との他愛ない会話を通して精神的にも孤立化を防ぎ、引いては筋力や脳の機能低下を防ぐ役割も担っている、一種の社交場でもあるのだ。
過疎地におけるスーパーの撤退は、この消滅をも意味している。
ここからは、この記事を書いている私が足腰が不自由となり、住んでいる家なりアパートなりから最寄りのスーパーに行くのにも困難となった場合を想像してみる。
恐らく、次のようになるだろう。
1、晴れだの雨だの、付随して風が強いだの日差しがきついだの、天候を始めとする、気象現象に疎くなる。
2、結果、そこから得る全身の五感が鈍くなる。
3、買い物途中で、季節の花や虫、小動物に接することもなくなり、感度はますます鈍くなる。
4、何より店まで歩かないことにより、弱ってきていた足腰は一段と弱まる。
5、店に行かないのだから、そこの従業員や自分以外のお客さんと接することもなくなる。つまり会話がなくなるということで、脳はいちだんと働かなくなる。
ううむ、、、。
もっとも、こういう事情は個人レベルではどうしようもなく、行政の助けが必要なんだよね。