
昨晩、寝床の中で、そう遠くはない未来に起こりうるかもしれないアレコレを考えていたら、何故かどんどんカンがたかぶってきて眠るどころではなくなった。
仕方なく、本棚から、無作為に一冊取り出して、ページをめくりはじめる。
明治末期から昭和中期まで詩や小説、随筆、評論、童話などを多数執筆し、文壇に隠然たる影響力を持ち続けた、和歌山県出身の作家、佐藤春夫が書いた「田園の憂愁」。
特に起伏に富んだストーリーはなく、登場人物にも目立ったキャラは出てこないが、出発点が詩人である上に絵画の筆も立つ春夫ならではの、風景や小動物や天候などの自然に対する描写がまことに感性豊かで、そのことだけでも楽しめる内容だった。
ところが!
途中、続く秋の長雨に主人公(春夫)がココロをやられ、幻覚があらわれるようになったあたりから、読むこちらも何となくウツウツした気分になってきた。
どうもいけない。
こういう神経症(?)的記述に過度に共感してしまうとは、ひょっとして、我がメンタル、いま少しやられている可能性がなきにしもあらずだな。
いや、感情の揺れや注意力に異変があらわれているわけじゃないんだけれど。
まあ、でも、人間だからね。
心身ともに疲れを知らず、また喜怒哀楽の変動がなく常に一定のコンディションでいるロボットとは違い、笑うことがあれば泣くこともあり、ご機嫌な時もあれば不機嫌モードの時もあるさ。
一部のスピチュアル学派みたいに、いつもいつもポジティブではいられんよ。
そして、それでいいのだと思っている。
ポジティブになれない=落ち込んだ時には、落ち込んだなりに、やることを縮小してそれを淡々とこなし、新しいことや普段の行動様式から大きく離れたことはやらない。
静かに不調の波が去っていくのを待つに限る!