誰かの犠牲になる「激安」は真の激安ではない。

「激安スーパー」の記事を書いていて、連携で思い出したことがある。


コロナ禍に陥った2000年より数年前の冬、乳業メーカーのA社が、酪農生産者が置かれた状況に理解を示し、牛乳をはじめとするA社の商品を「適正価格」として一斉に値上げしたのだ。
もちろん、値上げの数ヶ月前からホームページでの告知などで、そこへいたった事情は詳細に説明してある。


「値上げ」と言っても、実は生産者側にとっては利益が出るかどうかギリギリラインの微妙な価格。
それでも、果たせるかな、A社の商品はたちまち売れなくなった。
デモンストレーションしていた私たちも悲しくなるほど。
目の前を行き交う消費者の皆さんは、
「高いねー。こちらの安い方にしとくわ」
と、値段が70円低いA社の競合社の商品に手を伸ばしていく。


結果、しばらくすると、また元の小売価格(生産者は赤字)に戻ってしまった。


乳製品ばかりではない。
かつて、卵と並んで「物価の優等生」とされたもやしの生産業者が
「せめて店の売場には40円で置いて欲しい」
と悲痛な叫びをあげていたよね。
このことは、やはり優等生の双璧である卵も同じだよ。


いつぞや、卵が高くなって買えない現象が起き、騒がれたけれど、冷静に考えたら、今まで安すぎたのだ、、、ニワトリのエサ代や水代、鶏舎の維持費、労働する者に払う賃金、市場に輸送するための経費、、、もろもろを計算したら、卵があの値段で消費者に渡っていたことこそが、オカシイ。


激安は激安でも、中間マージンのカットや店の棚に綺麗に並べるための人件費を省くための段ボール陳列などの結果による「激安」は大いに奨励。
でも、生産者や運輸業者など、誰かの犠牲に成り立った上での「激安」は、いつかどこかで必ず歪みがくると思う。


「安ければいい」
この価格至上主義が、現在では浸透しずぎていない?
消費者がそうである限り、そりゃ日本の牧畜業者や農業従事者の数は減り続けるわなあ。
彼らにだって生活があるんだから。


政府、生産者、流通業者、消費者。
皆で真剣に考えないといけない時期にきているのではないかな。