家庭園芸をしていて、日本という国を考える

今日は園芸をする日。


ささやかながら、プランターや鉢で花や野菜を育てている、
一応セオリーにしたがってトライしているが、天候や湿度、植物に群がる生物、土壌もろもろの要素で結果が違ってきたり、収穫時がずれることも多く、そんな中で懸命に咲き、実る植物は、それを取り囲む世界をも含めて本当に愛おしいものだ。


例えば、一昨年の夏、草ばかり育って肝心の花は全く咲かず、もう抜こうかと思っていた玉すだれが、食物で言えば「旬」とされた季節を2ヶ月ずらした10月半ばになってポツリポツリと咲きはじめ、やがてプランターを埋め尽くした時には感動したね。


きっと、玉すだれも、1番きれいに咲くときを待っていたのだろう。
玉すだれ自身のエネルギーと外のエネルギーがマッチした、その時が一昨年は10月半ばだったのだ。


私たち商売の世界にも、こういう農的な感覚があっていいと思うものの、現実は、、、ねえ! ほど遠いよ。求められるのは、即効性ばかりだ。


もう少し、「商品を育てる」意識と余裕が、商品を作る人、売る人、買う人、三者にあってよいはずなのだけれど、現実は目の前の事がらに対応するだけで精一杯。
それだけ経済が疲弊してきているのだろう。


こんなところにも、日本という国の「凋落」を見る思いなのだ。