この週末は、かの赤穂浪士とそのリーダー、大石内蔵助を祀る大石神社の近くのスーパーで仕事。
赤穂浪士については、「忠臣蔵」の題名で、古くから舞台や小説、映画などにさんざんえがかれて広く知られているから、ここでは割愛する。
とは言え、あの「忠臣蔵」ってどこからどこまでが史実なんですかね? そうとうに脚色されているような、、、。
まあ、善人と悪人が分かれ、単純明快にまとめているからこそ、一般大衆にもわかりやすいのだけれど。
歴史的な「真実」はとりあえず横に置き、次のことだけは正真正銘の「真実」。
それは、赤穂藩士たちにとっての主君(現在に例えたら勤務先の社長)であった浅野内匠頭の一大事を伝える書状が、わずか4日と半日で江戸(東京)から赤穂に届いたこと。
電話などなかった当時。事の次第は、書面にしたため、早かごに乗る使者に託すしかなかったのだが、令和の時代になっても、東京と赤穂は片道3時間半、時間帯によっては4時間ほどかかる(新幹線と通常路線を乗り継いで)距離。そんな道のりを、エッホエッホの掛け声と共に人力で移動するのだ。
もちろん、かごの担ぎ手は地域ごとの交代制。それを考慮しても、舗装されていない道路をわらじで走る。そんな環境の中、よくぞ4日と半日で着いたもので、江戸時代のかご屋の脚力にあらためて敬服する思いである。