移動について その2

 「会社のお金でいろいろなところに行けていいですね」
 と言われ、驚いたたことがある。
「だって、仕事がてら、ただで旅行しているようなものじゃないですか」
 続くセリフに、ますます目を丸くした。
 
 また、片道四時間かかる現場に、始発で出発し、終電で帰ってきて、玄関の
戸を閉めるや疲労のあまり座り込んでしまった体験をネットの某サイトで話し
たら、そこのメンバーの一人から
「あなたと同い年の私もこのまえ片道四時間かけて温泉に行ったけれど、ぜん
ぜん疲れませんでしたよ。あなたの体力がなさ過ぎるのではないですか?」
 とコメントされた。
 さすがに、「四時間は四時間でも、遊びで行くのと、仕事で行くのとでは、
違うわいっ」とむかついたが、まあ、大学を出てすぐに結婚し、高給取りの夫
の庇護のもと、子育て終了後は食べ歩きとカルチャースクール通い三昧の日を
送っている女にはとうてい理解出来るはずもなかろうと、スルーを決め込んだ。

 だが、ドライバーやルートセールスマン、現場と現場を絶え間なく移動する
介護の仕事をした人なら、自らの体験に照らし合わせてわかってもらえると信
じる。
 移動は疲れるものだ。自分で車を運転していくのでなく、乗り込んだ電車な
りバスなりに現場がある所在地の最寄り駅まで運んでもらえるとしても、振動、
大気の変化、さらに未知の土地に向かう不安もあいまり、心身共にストレスが
生じる。
 
 まして、デモンストレーションの種類により、鍋や包丁、まな板など、調理
用具一式をカートで持ち運びしなければならないのなら、尚のこと。
 少なくなったが、それでも、遠隔の山間地や農村地帯では、エレベーターも
エスカレーターもない駅が珍しくない。しかたなく、重いカートを「よっこら
しょ」と持ち上げ、階段を上がり下りする。
 現場の店舗が、駅から二十分も二十五分も歩いたところにあるケースもある。
 冷風が吹きすさぶ厳冬期や朝っぱらから太陽が照りつける真夏には、これが
とてもつらい。
 まさに、デモンストレーションが始まる前の移動の段階で、体力を使い果た
してってしまうのだ。

 雪の日の移動も難事である。
 五年前の大晦日、ウィンナーやハムの担当で、亀岡に行った時がそうだった。
 豊かな田園地帯で、京都へのベッドタウンとしても知られる亀岡は、冬期、
雪が多い。その日も、亀岡駅の一つ手前の馬堀駅に降り立った時には、完全な
雪景色。くるぶしはおろか、膝半分近くまでゴソッと埋まってしまうほどの量
が積もっていた。
 当時は、よほどの事情がない限りタクシー使用を認めないマネキン派遣会社
にいたため、仕方なく歩きはじめたけれど、滑って何度もころびそうになるわ、
眼前を絶え間なく舞う小雪のワルツで視界をさえぎられるわ、カートの車輪が
雪の塊に入り込んで回らなくなるわで、ついに中途の病院前でギブアップした。
 携帯にメモしたタクシー会社の運転手は、五分と経たず、やってきてくれた
が、こう言った。
「お客さん。こんな日にそんな荷物ひいてあの店まで歩こうなんて、無謀です
よ」。

 かくも楽ではない移動。
 最近、やはりネットで知り合ったヘルパー職の人と、この件について語り合
う機会を得た。
「私たちも移動の連続ですよ。Aさん宅に30分いて仕事をすませ、Bさん宅へ。
その後ポンと時間が空いて、昼過ぎにCさん宅、夕方にDさん宅といった感じ。
もちろん、各家庭間を移動している時間は、報酬の対象になりませんし、移動
に利用するスクーターのガソリン代も出ません。おかしいですよね。移動して
いるさなかも私たちは拘束されているわけですから」。

 マネキンもヘルパーも、女性にとっては、自らの生活体験をいかすことが出
来る点で、とてもなじみやすい仕事のはず。
 なのに、人気は今ひとつ。
 その理由の一つが、わかった気がした。