日報って、そもそも?

 仕事から帰ってきた。
 今日は、京都は宝ケ池のこじんまりしたスーパーで、納豆のデモ。

 報告書についてブログ記事を書いていて、思い出した。
 大阪にいた頃の末期、四ヶ月だけパートで勤めたスーパーの実態。

 職種はレジ。
 勤務は午前九時から午後一時。週五日。

 でもねえ、本当はこうじゃなかったのよ。
 まず、始まり。
 開店十五分前にチェッカー朝礼があり、この十五分前までには入店していなければならない。
 つまり、八時半出勤。
 九時までの三十分には時間給はつかない。

 終わりも同じ。
 レジ精算を済ませ、現場を離れる。
 すぐにタイムカードを押さないといけない。
 なぜか?
 レジ日報を書くための時間を、記録の上で計上したくないからである。

 このレジ日報というヤツ。
 やたら細かい。
 十分や二十分で書けるものではなく、皆、困っていた。
 正直、三十分近くかかることはざらだった。

 人の時間を奪っておいて、何のための日報なのか?

 ちなみにこのスーパー、敢えて名を明かさないが、明かすと、内実を知っている人からは
「ああ、あそこならね」
 と返事が返ってくるのが通例であるくらい、従業員を締め上げ、搾取することで有名。
 社長が先頭に立って「弱い者いじめ」をしているのだ。
 
 それと関係あるのかどうか、このスーパーの近くに住んでいる友人の一人が
「若い人はすぐに辞めていく。残るのはおばさんばかり。よほどきついんやろ」
 と言っていた。

 このスーパーの関係者こそ、バートチェッカーの書いた日報なんて、読んでいないだろう。
 読んでいたら、もう少し、パートたちに思いやりがあってよい。

 そもそも、何のために日報を書かすのか?