「たたりじゃー」
のセリフと共に、松本清張を元祖とする社会派推理小説に押されて「古くさい」
と文壇から忘れ去られつつあった横溝正史が再び脚光を浴びたのは、私が大学生の頃であったか。
これは、正直、映画の影響、狭義的には、一連の横溝作品を映像化した監督、市村崑の存在が大きいと思う。
脚本化の巧みさもさることながら、背景が素晴らしい。
その美しさは、横溝ワールド特有のおどろおどろしさを、良い意味で緩和する役目も果たしている。
その映像における横溝ワールドの最高傑作の名も高いのが、これ。「獄門島」。
個人的に、横溝正史の作品は、推理小説的には「本陣殺人事件」が真骨頂だと、
勝手に思っている。
では、映像化された横溝ものもそうかと言うと、決してそんなことはない。
ここいらあたりが、原作と映画の面白い力関係。
さて、獄門島の話題に集中しよう。
時は、敗戦後の混乱も慌ただしい昭和21年。病気の友人に代わり、兵隊たちの
引き揚げ船内で
「俺が生きて帰らねば三人の妹たちが殺される」
という、恐ろしい言葉を残して亡くなった鬼頭千万太の最後の書き置きを鬼頭
の身内に届けるため、彼の故郷である獄門島を金田一耕助が訪れるところから、
物語はスタートする。
金田一が島に到着してほどなく、謎の連続殺人。
よそ者を寄せ付けぬ閉鎖性、本家と分家の対立、因習から抜け出せない島人た
ちの無知と愚かなまでの純朴……。ここでも、横溝ワールドならではのパーツが
機密に絡み合い、最後まで観客を引っぱっていく。
前半は、注意して観ないと、多過ぎる登場人物ゆえ、その関連がわからなくな
りる。
そこさえクリアすれば、後はベテランの司葉子や大原麗子など、芸達者な面々
の迫真の演技で、あきることがない。
トリック的には、少し首をかしげる箇所もあるし、正直
「時代が時代であっても、どうしてあんな理由で人を殺すの?」
と感じてしまうが、そこは、まあ、小説だし映画だと言うことで。
小説にしろ、映画にしろ、しょせんはツクリモノの世界だ。
それでいい。
ツクリモノだからこそ、希望を与え、夢をみさせてくれる。