正確には、仕事はあった。
うち一日は、あまりの腰の疲労ぶりに心と身体がまいってしまい、他の理由をつけて断った。
あと一日は、派遣会社が仕事依頼の電話をかけてきた時にが外出していたため、お互いに連絡がうまくいかず、お流れ。
娘が大学在学中なら大変なことで、派遣会社に「お仕事ちょうだいメール」を出しまくり、電話もかけまくっているところ。
それが、一応は親の責任を終え、自分たちの後始末だけしたらよくなったこの頃。そんな気持ちはとんとない。
実は、来年から思い切って仕事を減らし、空いた時間を執筆と野草料理の探求に充てようと計画している。
執筆は、もちろん、マネキン体験談。暴露ものではなく、仕事を通じて感じた「人としての根っこの部分をしっかり持っていれば幾つになっても人間は変われる」ことをテーマにしたいと思う。
振り返れば、私は多分に頭でっかちな人間だった。娯楽に乏しい農村で育ってきてイヤでも書物を友とせねばならない環境におかれていたし、小学校三年生になるまでは腸が弱くてじゅうぶんに食べられず学校を休む日が多かった結果、人付き合いが苦手になってしまったことが主な原因だ。
とは言え、それだから触れることの出来た多くの書物は、私の心の財産になっている。
反面、生活面での実用的な能力。これが著しく落ちたまま、成長してしまった。
知識はあってもじゅうぶんに実践出来ないのだ。
このギャップとジレンマが、試食販売の仕事を始めて、少しずつ縮まっていった。
同時に、対人関係も変わっていった。
ね、時々いるでしょ。
お勉強はまあまあなんだけれど、学級活動が今イチという生徒。生活発表会の時に教室を飾りつけた
り、キャンプでテントを張ったり、そういうのが苦手な子。
このタイプの子は、社会に出るとちょっとしんどいよ。
かつての私がそうだ。
現在では思っている。
「不器用は不器用。五十路を過ぎてこれは変えられない。ならば、主に情報を伝える側になり、実践
はデモンストレーションに不自由がないくらいには身につけておこう」
この姿勢はうまくいった。
書物から得た雑学をセールストークに混ぜ込む。
納豆を販売する時には、
「江戸時代には納豆は整腸剤の代わりにも使われていました」
リンゴを販売する時には
量がここは図抜けて多いということがあげられています」
こういうちょっとした「暮らしに役立ち情報」は、お客様によく受ける。
「へえ、そうなん? 教えてくれてありがとう」
とお礼まで言われる。
売上も伸びる。
店舗担当者やメーカーは喜ぶ。
「よく売ってくれた」
と認められる。
そりゃ対人関係もよくなるし、こちらも変わっていく。
変わっていくことで見えてくるものもある。
この「変わっていくこと」と、ここにいたることが出来たのも「それまでの生育でつちかってきた
ものがあったからだ」ということ、この体験を軸に「人生にムダはない」とアピールしたい。
それにしても、決して豊かではなかったのに惜しみなく書物を与えてくれた母に、今さらながら感
もう一つ追求したい野草料理の方。
これも書くね。