ネットはツールではなくコミュニケーション

イメージ 1


続き。

何だかんだと言っても、仕事の指示も変更過半数はネット経由でくる昨今。現役でいようと願ったら、これとうまくつきあっていくこと
が、もはや「必須」となっている。
語学同様、「ツール」と割り切り、淡々と向かい合ったらよいのか。

否!
語学はツールじゃないぞ。
何語にしろ、コトバは人間にしか発しえないもの。その意味で血が
通った「生体」。その「生体」と「生体」が交わって、一つの共有空間が生まれ、別の世界を切り開くこともある。
「ツール」でなく、「コミュニケーション」なのだ。

この考えのもと、翻訳ソフトのみで他言語と交流し、それでよしとしているタイプは、理解に苦しむと言うか、あまりにもコトバ自体を安易にとらえている気がして、私はなるべくお付き合いを避けたいのだけれど、まあ、それは別の問題である(翻訳ソフトを使って訳した日本語を読んでごらんなさい。あの機械的な不気味さ。つまり、日本語を他の国語に訳してもああなるのだ。そりゃあ、キカイが血の通ったコトバに介入しているんだもの。あれでわかりあえていると信じているのだろうか。そこの国語がわからなかったら、英語を使ったらいいのに。義務教育を終えていれば、辞書を引きながらも初歩の英語はわかるはずだから)。

と、ここまで書いてきて、ネットも、操るのは人間である以上、ツールではなくコミュニケーションだと気が付いた。

同時に、昨夜、スターバックスで再びiPadによるネット通信が出来るよう、スターバックスのホームページにIDを申請した件を、考えてしまった。ネットに難なくつながっていた頃でも、あの店で、私、どれくらいネットを使ったかな?

コミュニケーションたるネットとの距離感。難しいところだ。

写真は今日の鴨川。
台風の影響はほとんど見られないが。