潔癖症のお客さん

京都市から急行で一時間ほどかかる町のスーパーに牛乳の宣伝販売で訪れた。
デモンストレーターは、私と、某ご当地うどんを担当する、同年代と思しき女性の二人。

午前11時頃。
所用で売場を一時はなれてバックヤードに退いた私を、たまたまバックヤードにいたくだんの同年代デモンストレーターが呼びとめた。
「ちょっと、ちよっと! 私、お客さんからクレームがきたのよ!」。

話の内容はこうだ。
彼女がデモしていた場所を通りかかったそのお客さんに、彼女は試食をすすめた。
「いりません」。
お客さんはにべもなく断った。
「ご遠慮なさらず、まあ、どうぞ」。
彼女はさらにすすめた。商売柄よくあるパターンだ。
なのに、その一言で、お客さんは逆上した。
「いらない言うてるやないのっ! あんたのクサい息のかかったうどんなんか、汚くて食べられないワ! マスクしていても、息は漏れるからねっ!」。
それから、延々と大説教。「試食は汚い」「試食は不潔だ」云々のオンパレード。その過程で、お客さんは、牛乳を宣伝販売していた私にも触れたそうな。
「あの牛乳屋、紙コップにじかに牛乳をついでお客さんに出しているね。汚いったらありゃしない。お客さんのことを考えたら、つぐ前に洗うのが常識やで!」
そして、再び彼女をグッと睨みつけ、
「あんたも同じね。うどんを入れたこのプラカップ、水洗いしてへんやろ! 何でそう無神経なん? 配慮が足りんワ。そういうのも、私、ハラ立つねん!」
彼女は、このタイプの客にはひたすら低姿勢に徹することだとさとり、謝って謝って謝り抜き、やっと解放されたと語った。

彼女は大憤慨していた。
「おかしな客やわ。そんなに、試食が汚いとか不潔と感じるんやったら、自分は試食せんかったらええねん。それだけの話やろ? わざわざ口に出さんでもええやん。せやのに、私らのことをけなしまくって!」。

と、私たちの話を作業しながら聞いていたパートタイマーの一人が言った。
「気にせんでエエよ。あのオバハン、前から細かいツッコミを入れるんで、店長も嫌ってんねん。ホンマは来て欲しゅうないと」。
具体的には、以前、「お釣りのお札が古くて汚い、古いお札には菌がたくさんついているんやで! こんなのを渡すとは、お客さんへの気配りがない」と、レジ係に噛み付いたエピソードがあるとか。

ふうむ。このオバハン、どうやら、クレーマーにして潔癖症の客らしいですな。

潔癖症のお客さんにはたまにお会いする。
その都度、「人によって衛生の基準も感じ方も違うからね。潔癖症も個性の一つ。だから、その観念や価値観を人に押し付けないで欲しい」と願う。

同時に、「私は清潔できれい。私以外の人は不潔で汚い」なる、歪んだ自己愛と優越感と排他性が言葉や態度の端々にチラチラのぞく一部の潔癖症の客には、実に不快な気持ちにさせられる。

人間、皆トイレにも行くし、汗もかく。垢も出る。誰しも汚い部分を持っているんだよっ!
そして、この世は菌だらけ。人類の歴史は、ある意味、菌との共存なのだ。
菌に勝ったり、反対に負けたりしながら、人類は科学を進歩させてきた。

私にすれば、「あんたのクサい息がかかった」だの何だの、そういう「汚い」言葉を平気で人に浴びせる人の精神の方が、よほど不潔やわっ!