どんどん美味しいものを食べ、どんどん人に知らせる。

ある方に梨をいただいた。丹後(京都府北部)に住む知人が「我が故郷が誇る美味しい梨をどうぞ」と一箱送ってくれたのでおすそ分け、とのこと。
かじってみると、さくさくした果肉の食感とジューシーな風味が実にいい。
ふと、常にどこか翳っている丹後の秋空を想った(丹後方面は、仕事で何度か訪れたことがある)。
同時に、ご主人の仕事の関係で五年間ヨーロッパの某国にいた友人の話をも。

彼女の話によれば、かの国で過ごした日々の暮らしの中で最も「ここは異国なのだ」と感じせしめたのは、果物や野菜などの生鮮品と接した時だと言う。
「私は食いしん坊だから、特別に敏感なのかも知れないけれど、例えばりんご一つ、にんじん一つでも、日本のとは味が違うわけ」
ああ、そりゃそうでしょうね。果物や野菜は、気候や土壌など、土地土地の風土に味覚が大きく左右されるもの。
「味が違うから、処理の仕方、つまり料理法や加工法も日本では考えられないと言うか、驚くような方法もある」
これもわかる。例えばトマト。現在でこそ加熱したトマト料理のレシピが多く出回っているが、私が子どもだった頃にはトマトは生で食べるものと決まっていた。トマトを煮たり炒めたりするなんて、考えられなかったのだ。でも、他の国々では昔々からトマトに火を通して食べる料理がたくさんあったわけだよね、、、。
「このことを知った時、食べ物って単に空腹を満たすだけの存在じゃなく、そこに住む人たちをうつしだすんだなあ、面白いなあ、と」。

もともと美味しいものに目がなく、料理好きな彼女。子どもの学友のお母さんたちに声をかけ、言葉はわからなくても身振り手振りで料理を教えてもらい(ここいら、女性の強み。理論でなく、視覚や嗅覚、触覚などで言葉を覚えることが出来るのだ)、そうこうするうちにホームパーティーやピクニックなどの誘いも受けるようになり、現地の人とずいぶん仲良くなった。
そこで、あらためて知った。
「国や言葉、見かけは違っても、美味しいものを食べて幸せになりたい欲求は同じ。皆、変わらない」。

自分の体験を踏まえ、現在では自分も料理教室を営んでいる彼女は私に言った。
「どんどんどんどん美味しいものを食べるべき。で、その美味しいものを与えてくれた人に感謝する意味合いでも、どんどんどんどん美味しいものを人に知らせるべき。食で人を幸せに出来てギャラも貰えるなんて、本当に飲食系の仕事っていいと思う」。

ややもすれば軽く見られる業種だが、誇りを持って仕事をしたいものだ。

写真は、いただいた丹後の梨。

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