自分の道は自分で作っていくもの

今日は兵庫県伊丹市の氷上で仕事。私が住む京都からは、阪急線で宝塚まで行き、JR福知山線に乗り換えて兵庫県内を北上するコースが一番早く着く。

宝塚から乗った「福知山行き」で兵庫県内陸部に入って行くにつれ、窓を流れる風景は少しずつローカル化してくる。
ありふれた田舎の、ありふれた山、ありふれた道、ありふれた田、ありふれた畑、ありふれた池、ありふれた川。
もっとも、長引く風邪や私生活のストレス、左耳の不調で気も沈みがちな現在の私には、こういう「田舎ならどこででも見られる、何ということのない」風景が最高の癒しとなっている。
生まれ故郷を思い出すのだ。
ふるさとも、まわりを山に囲まれた、特徴のない農村だったっけ。
ありふれていたのだ。

もちろん、ありふれたそこに住む、ありふれた人の、ありふれた日常もある。
面白いのは、ありふれた日常の繰り返しで紡ぐ生活や人生は、人によっては決してありふれていないこと。
長年接客業をしていると、対面する相手の言葉の端々から、立ち居振る舞いから、表情から、そこいらを読み取ることが出来る。

つまり、本来は「ありふれた」存在である日常とどう向き合うかによって、そこから先は違ってくると言うことだろう。

やはり、「運」も含め、自分の道は自分で作っていくものである。

写真は昨日の現場の駐車場。
どんよりと雲が垂れ込め、時折小雨が降り、肌寒い一日だった。

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