我が父方の親戚の1人、Yさんは、小学校高学年の頃からあるスポーツに打ち込み、中学高校でも実績を示した。
それを買われ、その競技では全国的にも知られた存在の大学に特別推薦域で進学。
ぶっちゃけ、入学した大学は、偏差値面では高くない。
それでも、彼が所属した運動部の名を上げれば、
「へえー。あの大学の〇〇部にいたんですか」
と、世間的には認められる。
そんな栄誉あるところに進んだものの、、、。
小学中学高校と、その世界ではエリートだった彼も、そこでは「ただの人」。
もちろん、人一倍トレーニングに励んだけれど、残念ながら個人が持って生まれた器のキャパシティは決まっており、彼は才能の限界を感じ始めた。
「プレーヤーとしては、恐らくこれ以上は伸びないだろう。が、大好きなこの競技とずっと関わっていたい」。
大学2年生も後半に差し掛かって、こう考えるようになった彼が選んだ道は、部のマネージャーを引き受けること。
監督に相談すると、
「お前なら出来る」
と、背中を押してくれた。
強豪校の運動部マネージャーは、プレーヤーと同じくらい、いや、それ以上にハードで禁欲的な日常を強いられる。プレーヤーが心置きなく練習に打ち込める環境作りはもちろん、各種の交渉事、さらには個々のプレーヤーの体調やメンタル管理も視野に入ってくるからだ。
プラス、マネージャーをまとめるトップ・マネージャーともなると、さまざまな書類仕事もこなさねばならない。
「マネージャーの仕事は、想像以上に大変だった。大変だったぶん、チームが試合に勝った時は、これは皆んなで勝ち取ったんだと、喜びが後から後からわきおこってきた」。
Yさんは、この体験を自らの就職活動のウリにしたのだ。
すなわち、強豪校でのアストリートと、それを支えるマネージャー、どちらも実際にやってみたこと。
これは、強い!
アストリートの体力やガッツに加え、マネージャーの気配りや全体を見るチカラもアピール出来るからだ。
結果、Yさんは、日本人では恐らく知らぬ者はいないであろう大企業への採用を得た。
就活の一つ、OB訪問(単なる大学OBではなく、そこの運動部のOB)で会ってくれた先輩が、Yさんをたいそう気に入り、人事の有力者にそれとなく根回ししてくれたという「運」もあったが、、、。
偏差値が高くない大学に通っていても、学力以外で第三者にPR出来ること、きっと誰もが持っている!
写真は、京都の大文字山に登る途中での風景。
人生は、登山みたいなものだ。