簡便さと引き換えに

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ぐっすりと眠って、身も心もすっきりしたところで、
昨日の記事の続きといこう。

レンジで温めれば食べられる神戸開花亭の煮込みハンバーグのみならず、
オーマイの冷凍パスタや日水のグラタンなど、
「レンジでチン」食品は、
年を追うごとに人気が高まっている。
私たちがデモをする機会も多い。

風味もピカ一。
かつて冷凍食品につきまとっていた
マイナスイメージはない。
本当に美味しいのだ。
専門店にも負けないくらい。
ここ数十年の食品加工技術の進歩の賜物である。

冷凍食品は便利である。
忙しい時、疲れている時、大いに助かる。
何せ、レンジに放り込んでスイッチをひねり、
ボタンを押して待つこと数分で、
ぬくぬくの一品が出来上がるのだから。

ただ、いつも「チン」料理なのはいかがなものか。
たまには、敢えて手間暇かけ、
ハンバーグなりグラタンなりを作ってもよいのではないか。
面倒だなと感じたぶん、得るものもあるはずだ。

そもそも、家庭には「我家の味」というのがあった。
以前、我家で肉じゃがを食べた親友が言った。
「あなたの家の肉じゃがは、うちの家の肉じゃがみたいに甘くないね」
「そう?」
「うん。きっと、あなたの家は、砂糖と醤油の他、
だしとみりんとお酒を加えて煮るからだと思う。
私の母親は砂糖と醤油だけを使って作っていた。私もその方法。
でも、この甘いのが、うちの家の好みなんやな」

似たケースは他にもある。
亡母は甘党で、弁当に入れる卵焼きにも必ず砂糖を少し加えていた。
ちょっぴりの醤油味にほんのりとからむ砂糖味。
いわゆるお子様好みの卵焼きなのだが、
関東に住むメールフレンド(同年代の男性)にこの話をすると、
「私はたぶん食べられないでしょうね、甘い卵焼きは。
私の母はだしで味をつけていましたね」
と返ってきた。

今日、「我家の味」は
スーパーやデパートの総菜の充実や冷凍食品の台頭で、失われつつある。
企業に味覚を管理されるようになってきているのだ。
これは、ある意味、ヤバくない?

プラス、料理を作る行為は右脳も左脳も、
さらに身体機能もほどよく使うから、
気分転換と精神衛生にとてもよい。
ある程度以上の年齢の方には「老化防止」にもなるはずだ。
この楽しみと意義を、簡便さと引き換えに企業に奪われてよいのだろうか?

また、自分で作ると、その都度、出来上がりの味が微妙に異なる。
ちょうど、歌手がおなじみの歌を歌っても毎回毎回すこし違うように。
昨日うたった氷川きよしのズンドコは、
今日うたったズンドコと、
同じであって同じではないのだ。
料理もそう。

これが面白いんですな。
キッチンに立つ醍醐味かも知れない。

冷凍食品。
賢く使いたいものである。

写真は、山科の毘沙門堂から南禅寺に抜ける道に立つ彫刻。
一体、一体、アーティストが土をこね、型を作り、
周りの自然と対話しながら、時間をかけて仕上げたもの。
大量生産は決して出来ない。
無骨で素朴な外観に、かえって味がある。

料理も、たまには、こうして作ろう!