同じ街でも、仕事で行くのと観光で行くのとでは、違う。

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1昨日に書いた記事で、遠方ゆえに依頼を断るつもりだった京都府舞鶴での仕事を、娘さんに
「お母ちゃん、悪い面ばかり見ないで、半分旅行するつもりで引き受けたら? 交通費はメーカーが出してくれるんやし。舞鶴は何かきっかけがないとそうそう行けるところやないよ」
と助言され、最終的に請け負った同業者を紹介した。
その話をもう少し。


京都から特急に乗った彼女。
通り過ぎる風景を眺めていると、自然と旅行気分が湧いてきたとか。
「特急って座席がゆったりしているし、窓を流れるスピードがちゃうやん。不思議やな。あれだけでちょっとイイ気分になれる」。


綾部で各駅停車に乗り換え、舞鶴まで一路。
「途中の景色が、ホンマ、一昔前のドラマみたいで。わあ、よその土地に来たなと、しみじみ感じた」。
おかげで、そこでも旅行気分を味わえた。


昼食は濃いめの舞鶴ラーメン。残った昼休憩時間を利用し、現場でもあった店で舞鶴名物とされる「舞鶴かまぼこ」を土産に購入。
旅行気分はますます高まった。


担当商品の売上も上々で(私の体験からも、一般に舞鶴、綾部、福知山方面での売上はそこそこ。試食してもらったらかなりの確率で買ってくれる)、無事に仕事を終えて最寄りの東舞鶴駅に着いた彼女は、駅に置いてあった観光用チラシやパンフレットをたくさん持って帰った。
「今度はプライベートで来よう。その時の参考にしよう」
と。


彼女が、その時の舞鶴行きから強く感じたことは
「見るもの聞こえるもの触れるもの口に入るものがいつもとは違う。それだけでじゅうぶん旅になる」
ということ。


わかる!
旅は非日常。名所巡りをしたり土地グルメ三昧といかなくても、普段とは異なる環境に自分を置いてみる。
これこそ、旅の醍醐味のはず。


ところで彼女、それからざっと1年後、実際に舞鶴にプライベート旅行をした。ご主人とバスツァーに参加したのだ。
「あらためて思うたワ、仕事で来るのと遊びで来るのとは違うと。まあ、どちらにも良さがあるね」。


そうなんだよね。
歴史好きの友人と、仕事でよく訪れる湖北方面をプライベートでまわったことがある私には、こちらの感想もよくわかる。


次回は、ここいらのことをもっと突っ込んで話そう。


写真は、京都上京区の引接寺ではの閻魔さま。
今日は初閻魔の日なのだ。

フェニモア先生シリーズ

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(注)2021年12月12日に書いた記事。

 

邦題「フェルモア先生、墓を掘る」(ロビン・ハサウェイ作、坂口玲子 訳」

 

(あらすじ)
患者の健康よりも効率が優先されがちな大病院のあり方に疑問を感じ、父から受け継いだ診療所で昔ながらの治療を続けるフェルモア先生は、実は私立探偵という顔も持っている。
ある日、愛猫の遺体を抱いていた少年ホレイショと知り合い、その埋葬を手伝うために地面を掘っていたら、そこには何と女性が埋められており、しかも彼女は知人の医者の息子の婚約者だった。
死体の奇妙な姿勢に疑問を抱いたフェルモア先生の奮闘が始まる、、、。


主人公フェルモアが医師であることもあり、しばしば医学や薬学の専門用語が登場し、物語の進行やトリック解明に大きな役割を果たすが、登場人物同士の会話を通じて素人にもわかりやすく解説されているので難解感はない。
それよりも、人種のるつぼであるアメリカに根強く横たわる出自に対するこだわり(先祖がメイフラワー号に乗ってやってきたとか)や先住民に対する意識。こちらの方が、感覚的に日本人の我々には今ひとつわかりにくく、だからこそ、読後感にある種のやりきれなさが残る。


そのことを差し引いても、読みやすい文章と展開。何より、フェルモア先生のあたたかいキャラに惹かれるね。

Never give up!

(注)12月11日に書いた記事。

 

Never give up!

 

諦めるな!


スーザン・ボイル。子どもの頃にはPTSDを患う父親から暴力を受け、かつ学習障害があったために学校でもいじめられ、「おバカなスージー」と言われて育つ。心やすらぐ時は、音楽好きな母親が弾くピアノに合わせて歌っている時だけ。
「お前はいい声を持っているし、上手に歌うわ」。
常に自分を認めてくれていた母親の生前、スーザンは母親とある約束をかわす。
「2009年に人前で歌を披露する」。


やってきた2009年。48歳近くになったスーザンは、
イギリスの素人向けのオーディション番組に出演。
その時の様子がこれ(何故か動画がアップ出来ない。不具合?)。


この動画がYouTubeで流れるや、アクセスが世界中で殺到。スーザンはついに歌手になるという長年の夢を叶えたのだ。


人間は生涯を通じて成長し続けるもの。スーザンも歌への思いを胸に、日々を大切に重ねてきたからこそ、運命の神様は微笑んで下さったのだろう。

学歴フィルターにとらわれず、自分軸で人生を。

(注)12月11日に書いた記事。

 

就職サイトのマイナビが就活中の学生に対し、
「大◯◯以下云々」
とタイトルをつけたメールを誤送信し、
「これって学歴フィルターによる就活生差別じゃないの?」
との声があがっている。
マイナビは頑なに否定。当然だ。人権問題に発展するもの。


もっとも、こういう問題がおこるたび、大した経歴もなく業界の最先端にして最末端の位置でうごめいている私などは、
「それが差別ととらえられるくらい気になるなら、高卒だとか大卒だとか、あるいはどこの学校を卒業したとか、そんなことが問題にならない世界に行ったらいいのに」
と感じてしまう。
ワイワイ言ったって、学歴や学校別による様々な選別なり足切りなりは昔からあってしぶとく残り続けているのだから、今さら状況が変わるはずはないしね。
ならば、自分の腕やセンス、特技をいかせるところで勝負しようじゃないの!


例えば、経験とそこから培ったカンが欠かせない職人の世界。
例えば、持って生まれた才能や運を引き寄せるオーラも関係してくる芸人ないし芸術家の世界。
例えば、出した結果を公正な物差しである「数字」で評価される営業もしくは販売の世界。
例えば、一律な国家試験にパスしないと就くことが不可能な、「△△師」「□□士」の世界。
他にもあるだろう(ただし、師業や士業の場合、その社会内での学閥はないことはないかも)。


かつて、当時は創立数年しか経っておらず、したがって知名度も偏差値も高くなかった大学で職員をしていた知人が、こう嘆いていた。
「(就活の)最初から諦めている学生が多い。うちみたいな大学じゃイイところ入れないと」。
ふうむ、、、。そのような人は親もろとも「有名企業に就職して高収入を得る=幸福」の図式が出来上がってしまっているんだね。
そこに甘んじてしまうのも人生だが、せっかく生まれてきたのだ。自分軸で自分の道を開いていこうよ!

お中元お歳暮を考える その2

(注)2021年12月9日に書いた記事。

 

お中元お歳暮についての話題を続ける。


ものの本によれば、「お中元は半年間お世話になったお礼も兼ねてのご挨拶」であり、「お歳暮は1年間お世話になったお礼も兼ねてのご挨拶」なんだそうな。
よって、
「恒久的に交流が続くと思われる親戚や仕事関連の人には忘れないで送りましょう」
とある。


ところが、ネットの某マナーサイトにアクセスしてみれば、裏話として、
「本音ではお中元やお歳暮はもう辞めたいと願う人が少なくない」
とあるではないか。
事実、そのサイトが無作為に抽出した人たちへのアンケートでは、実に7割近くがそのように望んでいたとか。


理由は多々あれど、根底には日本人全体の経済環境の悪化があると感じる。
「普段はほとんど付き合いがない、単に親戚というだけの人に、なぜ何千円もする物を送らないといけないのか?」
「お中元やお歳暮をもらうのは嬉しいけれど、お返しを考えると負担」
「何だかいつもの習慣で、お互いにダラダラと続けていて。生きていれば皆それなりにお金がいることだし、カタチだけの中元歳暮よりも自分にとっての意義あることに使いたい」
こんなふうに考える人が増えているのだろう。


プラス、送ったり送られたものが必ずしも歓迎されるとは限らないミスマッチも、往々にしておこりえる。
また、同じ商品が重なって困ってしまうことも。


中元歳暮の目的が、
「お世話になったお礼をも兼ねてのご挨拶」ならば、本当に送りたい人だけに、その嗜好や生活も熟考しつつ、送ったらよかろう。
その際、メーカーには、手書きの一筆カードなどを添えるサービスも取り入れて欲しいね。

土手煮

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粉雪舞う、底冷えのきつい今日の京都。
こんな日は、牛すじを大根やこんにゃくとコトコト煮込む土手煮を、ストーブで作ろう。


土手煮で思い出したことがある。
数年前、宣伝販売を請け負った某醤油メーカーの試食メニューが、これだったのだ。
「圧力鍋を使うのならともかく、普通のグリル鍋で、開店1時間前後までに土手煮が作れるはずがない」
と、業務指示書が届いた時点で、仕事を振ってくれた派遣会社を通じてエージェンシーに訴え、メーカーに試食メニューを考え直してくれるようにお願いしたのだが、エージェンシーの責任者はオス化したバリキャリ。学校を出てから、料理をはじめ日常の雑事のいっさいを母親にしてもらって仕事に邁進しているタイプなので、そこいらのことがどうもわかっていただけない。
仕事をもらう身であるこちらは従うしかなかった。


困窮した私の目に、ふと、某クッキングサイトにアップされた素人主婦のこんな記事が!
「すじ肉をウィルキンソンなどの炭酸で煮込むと、圧力鍋を使わなくても土手煮が速く出来ますよ」。


さっそく実験。うまくいった。
「ああ! 助かった」
しんからそう思った。


デモ当日。グリル鍋で作った土手煮の試食は大評判。しかも、炭酸を加えるだけで、今までのように時間をかけずとも普通の鍋で作れるとあって、お客さんにも大変に喜ばれた(デモンストレーター冥利に尽きる)。
その体験を通し、あらためて知ったのだ、、、机の前に座って頭でメニューを考えるメーカー栄養士(試食メニュー考案者)より、毎日毎日キッチンに立って家族のために手で食事を作っている主婦の方が、よほど「実践」を知っていると。


皆さんも試してみて下さい。
味付けする前、すじ肉をアクを取りながら15分ほど煮、湯を捨てて水で洗ったあと、また鍋に戻して炭酸で15分ほど煮る。
これだけです。(写真はWikipedia)。

すべてに光と影があり、長所が短所になったり、短所が長所になったり。

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打診された、今月の21日の仕事の指示書がまだ届かない(通常なら、遅くともデモ実施1週間前には派遣会社から送られてくる)。
もしかして、オミクロン株コロナの感染爆発で、メーカー、あるいは店舗側も様子をうかがっている?
こちら側にすれば、昨年に比べ今年の1月は仕事が少ないので、キャンセルは絶対に避けて欲しいところ。


さて、1昨日の記事の続きである。


「欲深い人でなくても、現実と理想の乖離の前にはつい不平不満ばかりがこぼれてしまうもので、その渦に呑まれるや物事をある角度からしか見れなくなる」
と書いた。
言い換えれば、視野が狭くなってしまうのであり、それがワクワクを妨げる最大原因であるとも。


デモンストレーター業務の具体例から、詳述する。


もし、あなたにデモンストレーター体験が1度でもあれば、あなたは業務指示書に必ず書かれている「担当商品の特徴」なるものに目を通したことがあるはずだ。
そこには、商品の使用法、原材料、食感、他の類似商品との差異、時には開発のきっかけなども記載されていたりする。


この「担当商品の特徴」は、もちろん本番でもセールストークとして使うわけだけれど、デモンストレーションの過程で、あなたは少しずつ知っていくはずだ。
例えば、「コクのあるまろやかな風味」が、人によっては、「濃い」「しつこい」「甘い」などと感じられること。
そう!
商品に限らず、すべての物事には光と影があり、そのとらえられ方は、千差万別。
「コク」や「まろやかさ」は、AさんにとってはよくてもBさんにとってはよくないのだ。
長所が短所になったり、短所が長所になったりするわけね。


このことは、デモンストレーションの案件そのものにもあてはまる。


大阪北部の町に住む仕事仲間の1人。
ある時、京都最北部に近い舞鶴にある店での仕事を打診され、当初は
「特急使用可でも、自宅から駅までカートを引いて歩くことを考えたら6時40分には家を出なアカンし、となると遅くとも5時半には起きなアカン。電車にも2時間20分ほど揺られていないといけないから疲れるし」
と、断るつもりだったそうな。


その母親の独り言混じりの愚痴をはたで聞いていた高校生の娘さんは言った。


「お母ちゃん、何で悪いところばかりみるん? 舞鶴はそんなに行く機会はないところやん? 特急かて、頻繁に乗ることはない。今回、仕事で行くんやから交通費は会社が出してくれることやし、半分旅行や思うて行ったら? そら、仕事やからしんどい面はあるやろ。でも、ホンマ、何かないと行かれへん場所やん。それに昼休みに舞鶴ならではのものを食べたり、舞鶴の名産を買ったり、帰りの特急ではゆったりしたり、旅行気分は味わえるやんか。しかもギャラと遠方手当までもらえる。ウチなら、大喜びで行くワ」。


これなんだよね。
「片道3時間近くかかる舞鶴に行く=遠方=早起きしないといけない=身体が疲れる」
と、一面からのみ舞鶴行き案件を考えると負の要素ばかりが浮かんでくるが、娘さんみたいに別の面からも考えると、正の面が浮かび上がり、仕事自体も
舞鶴に行かされる」
から
舞鶴に行く」
に変わり、主体性をもって取り組めるぶん、楽しくなるのである。


写真は3人の孫。