我が眼病、寛解。

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(注)9月16日に書いた記事。

 

昨日は私が大学病院の検診(眼科)。11時に予約していたので10時35分に受付に行き、もろもろの検査を経た上で受診。会計をすませて病院を出たら、あらあら、時間は午後3時5分。
かくも大学病院というところは、予約してあっても長時間拘束されるところなのだ(人が多いし、検査だって幾種類もあるからね)。


ただ、今回で、我が眼病は寛解。年に1度の定期検診も必要ない。
「また異変が生じたら診察を受けて下さい」
というスタンスになった。


来月、大学病院で手術を受ける夫も、焦ることなく、だが着実に治療をすすめて回復し、ぜひこの状態になって欲しいものだ。


写真は、1番下の孫。

生きている。それだけで儲けもん。

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(注)9月14日に書いた記事。

 

昨日、夫に付き添った大学病院での検診は、まさに1日仕事だった。


病院に着いて受付の列に並んだのが午前8時45分。そこから予診に始まって本診を受け、諸々の検査を経て再び今度は手術執刀医の診察。看護師から今後についての指示説明。入院関連部署に専用書類を提出し、会計を済ませてやっと外に出られた時は、午後3時をまわっていた。
ああ! 疲れたわぁ、、、。


結局は、今日のセカンド・オピニオン診療所の所長のアドバイスもあり、大学病院でお世話になる(手術)こととなった。
これから、そのことに向けた具体的な課題に1つ1つ向き合い、クリアしていかねばならない。
夫と私、2人の仕事の調整はもちろん、入院から手術、退院までのおおまかなスケジュール作成、入院もろもろにかかる費用、健康保険からの保障額、術後に装着するストーマについての知識およびそ受けることが出来る日常給付金の確認その他たくさん。


人間は、生きている、ただそれだけで、基本的には儲けものだと思う。生きていればこそ味わえること、たくさんあるからね。


写真は1番上の孫。

難病をケアする家族のメンタル。

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(注)9月12日に書いた記事。

 

いかん。メンタルをやられてきている。

親や夫などが、がん、脳梗塞、心臓病、うつ病その他の病を患ったことがある友人や知人、仕事仲間からは

「完璧をめざしすぎないように。でないと、(病んだ)本人もケアする側もどちらも参ってしまう」

と、常々アドバイスされてきたのだが。

 


ポジティブモードとネガティブモードの間を感情が激しく行き来することがあり、陽転思考も出来る時と出来ない時がある。

 


とつじょ胸を締め付けられたり、動悸で息苦しさを感じたり、涙が溢れて止まらなくなったり、わけもなく苛立ったり。

反面、小気味よいほどタスクをポンポンと片付けることが出来て、

「今日もスケジュール管理はバッチリね。この勢いで明日も、、、」

なんて、意気揚々とする日もある。

 


この感情の幅の大きさ。

かつて、仕事中に頭のおかしいお客さんに襲い掛かられて首を絞められた、その後の状態に似ている。

 


今月の後半からは私の仕事も忙しくなってくることではあり、心身の調子を整えておこう。

 


とりあえず、夫の診療所が休診日である今日は、好きなことをして過ごそう。

好きな香りのお香を炊いて、好きな音楽を聴いて、好きな種類のスムージーを作って、、、。

 


写真は、高野山にある奥の院

難病や障がいを持つ家族のためのSNS。

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(注)9月10日に書いた記事。

 

 

仕事仲間の1人に、2人目の子どもさんが障がいを持って生まれ、そのケアに必死で取り組んでいたら、ご主人が彼女を作って家を出て行ったと語った人がいる。

 


「んまぁー、何てひどい」
と、憤りそのままに私が叫んだら、彼女は
「いやいや。今となっては、向こうの気持ちもわからんでもないんよ」。

 


彼女によると、ご主人が勤めていた会社は、高収入ではある代わりに、ご主人が就いていた営業職は完全歩合制。
人当たりの良いご主人は営業成績優秀で、常に一定レベルの成契があったらしいが、、、彼女いわく、

 


「仕事のストレスはハンパなかったと思う。なのに、1日を終えて家に帰れば、妻は障がい児とまだ手が離せない上の子の世話に疲れて、部屋は埃だらけの散らかり放題。食事の支度も出来ていない。上の子どもはハラ減ったと泣き叫び、妻はボーッとして悲しそうにしている。妻の気持ちはわかっても、そりゃ嫌になるわな」

 


と、元ご主人をかばっていた。

 


うーん?

 


彼女、さらに続けた。

 


「2人ともまだ20代(大学の同級生だったそうな)でいろいろな面で未熟だったし、、、。現在みたいにSNSが発達していて、当事者ならではのアドバイスや医療についての情報交換が出来たり、愚痴も含めた話し合いの場がある環境だったら、私も夫も気持ちの上で違っていただろうから、家庭崩壊は避けられたかもしれないけれど」。

 


これは、わかる気がする。
人間は孤立してはいけない。どこかで自分以外の存在とつながっていないと、どんどん内向きになって、こもってしまい、入る情報も入らなくなってしまう。
難病や障がいを持つ家族の自助会が設立される目的は、この「つながり」もあるのではないかな。

 


SNSも、うまく利用すれば、そんな人にとってとても助かるツールだと感じる。
中傷誹謗やガセネタも多い世界だが、悩みを共有出来、互いに励まし合えるのは、大きなメリットだ。


らちなみに、彼女は離婚後は故郷に帰り、自営業の両親の助けを借りて子どもたちを立派に育て上げた。
障がい者である下の子どもさんも就職し、毎日、元気に出勤している。

 


なお!

 


この仕事仲間が元ご主人を悪く言わないことにも、心底、感動したものだ。
元妻として様々な感情は交差するも、子どもたちにとっては、、、やはり、モロモロあっても父親には違いないのだからねえ、、、。

 


写真は1番下の孫(3歳)。

妻が療養食が必要な病気になった時、夫や家族はどうする?

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(注)9月9日に書いた記事。

 

以前に書いた。仕事を通じて出会った、舌がんのご主人を支える奥さんのこと。


その献身的な姿には感動したが、その時点でも、意地悪いかも知れないと思いつつ、ふと、こう想像した。
「これが逆だったら?」
と。


がんに限らず、他の、例えば心臓病でも脳梗塞でも、重篤な病を患った場合に食事療法はつきもので、それは、塩分や糖分その他さまざまな制約があることがほとんどであるため、時間も手間がかかりがち。
ふだん台所仕事をしていない人は、通常の食事を作るだけでも、慣れないゆえにかなりの困難さを伴うのに、療養食ならなおさらに違いない。
本当に、病に倒れた妻に療養食が必要となった時、皆さん、どうやって乗り切っておられるのだろう?


もしかすると、今後はこういう課題に対応した食製品も注目されるかも知れない。


写真は、この夏、我が家のプランターに咲き誇った日日草。

消化器系がん患者の便臭から考える

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(注)9月7日に書いた記事。

 

消化器系癌を患った人間の便は独特の臭いがする。
このことに気付いたのは、いつだったか。


便の悪臭と言うより、何とあらわしたらよいか、ズバリ、すえた臭いなのだ。
ちょっと、ドブ川がかった、、、そんな臭い。


それでも、どんどんひどくなってくるので、トイレの臭い消しについて、いろいろとネット検索している。
なぜなら、玄関を開けたとたんドブの臭いでは、帰って来た身分としても感じ悪いからねえ。

 

こういうね、生活に関する具体的な情報とアドバイスが欲しいので、夫の手術を機会に、ストーマ(人工肛門)者を持つ家族の会に入ろうと思っている。


一部のがんグループは、精神論ばかり。


精神論ではがんはよくならない。
夫もわかったみたいで、、、。
かの、入浴のエピソード同様に、、、。


入浴と玄米食だけで、切らず、抗がん剤放射線治療も化学療法も拒否して子宮がんを完治した、あのおばさん。
本当なんだろ。
西洋医学も一目置く温泉療法なんだろ。
でも、ここが大切。
おばさんは長時間の入浴に耐えられる体力が、年齢的にもあったのだ。


それから、
「がんの治療法の一つは笑うこと。笑えば笑うほど免疫力がアップし、がんがどこかへ行く」。
これは、正論。


でも、これも、夫は言っていた。
「がんで便が出にくい。何度気張っても、便秘の時の出切らない鈍い痛さと膨満感、不快感、ずっと続く。しかも、椅子に座ればがんの部分に触れるから痛い。こんなんで、笑えない」。


そうなんだよ。


がんの自然治癒法は、理論の上では正しい。
でも、正しくても、自分に照らし合わせて、それが出来るかどうかが大切なんだよね。


プラス、あれも、西洋医学の手術に耐えられるだけの、いや、それ以上の体力と精神力が求められますよ。
理論的には認めるが、誰でも出来る治療法ではない。


写真は、沖縄を訪れた孫たちを感動させた亀たち

人生の目標を持つ人は強い〜小さな日々の目標から。

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(注)9月7日に書いた記事。

 

予期せぬ出来事から視力や聴力を失ったり身体のどこかに障がいを抱えてしまったことで、いわゆる通常の日常生活が困難となるも、周囲のサポートと自身の発想転換、および創意工夫により、「山」を超えた人はいる。
そういう人は、マスコミ関連のインタビューに、決まってこんな趣旨の回答をしている。


「物事をどう捉えるかで、人生は変わる。同時に、何がおこるかわからないから、誰しも備えはしておかないといけないのではないか」。


なるほどね、、、。


なお、ここでの「備え」とは、金銭的な事柄もさることながら、それ以上に精神的な事柄が占める割合が大きいと、私自身は解釈している。
すなわち、生きがいというかライフワークというか、いわゆる人生の目標を見つけておくのだ。


実際、目標を持つ人は強い。かつて、進行性の病の一つ、ALSに罹患しながらも日々イキイキと過ごしている人の話をネットニュースで読んだことがあるが、記事によると、この方には文筆家としてどうしても書いておきたいテーマがあり、寸分の時も惜しんでそのことに取り組んでいるとか。


もっとも、
「人生の目標なんてそんな大それたこと、そう簡単には見つからないよ」
とおっしゃる人も多いのでは?
では、人生を区切って年単位で、いや、月単位、週単位、果ては最小の1日単位の目標を見つけるのは?
「あ、それなら出来る」
こんな人が大半だろう。


「不用品が溜まっていた押入れを整理する」
「一手間かけ、最初からきちんと出汁をとる」
「資格試験のため新しい語句を10個覚える」
最小単位だから、これくらいの目標でいい。


1日単位の目標を積み重ね、週単位の目標につなげていく。


「家の一階のこことここをきれいにする」
「和食料理の◯と△と◇を作ってみる」
「資格勉強を⭐︎章まで進める」


これをさらに月単位に、年単位につなげていく過程で人生の目標は少しずつ見えてくるだろうし、その過程で物事の捉え方に柔軟性も出てきて、陽転思考も容易になるだろう。


陽転思考が出来ると、生きることそのものを楽しめるようになるから、自分も周りも前向きになるね。
少し前の記事でも紹介した、老後の入り口で光を失った人も、目が見えなくなったからって大好きな登山をやめなくていいんだとわかってからは、健常者の登山仲間のサポートを得てバンバン登っているよ。
人生、晴の日ばかりではないけれど、雨も雪もいつまでも降り続けることはない。


写真は1番下の孫。