みそ玉はいかが?

みそ汁ネタを続けよう。

 

みそを玉状に丸めたみそ玉なる存在を教えてくれたのは、10年ほど前に仕事で訪れた近畿北部のスーパーに勤める人だったか。

 

昼休憩時。従業員食堂でくつろいでいた私は、昼食のために入ってきた女性従業員の1人が、従業員用冷蔵庫から水筒と弁当包み、あと一つ、ラップにくるまれたチョコレートボールのようなものを取り出すのを見た。
女性はテーブルにつくや、それを、恐らくは彼女専用のマグカップに入れ、ジャーのお湯を注ぎ、箸でかき回し始めた。
「何なんですか、その茶色いやつは?」
尋ねた私に彼女は答えた。
「みそ玉。まあ、手作りの即席みそ汁のもとといったところやね」。

 

彼女によれば、みそ玉は、みそにダシときのこやワカメなどの具材を細かく切ったものを加えて一口大の大きさに丸めるだけで作ることが出来る。しかも、冷凍でも冷蔵でも、もちろん数時間なら常温でも保存可能だから持ち歩きにも便利で、お湯さえあればいつでもどこでもみそ汁になるわけだ。

 

「自宅のローンもあるし、塾とか部活とか子ども関連の出費もバカにならないんで、節約のため、うちは夫婦ともども職場にはお弁当を持っていっています。で、米飯にはやはりみそ汁が欲しいじゃないですか。でも、インスタントみそ汁は割高。そこで、子ども時代に山仕事に出かける祖父に祖母がみそ玉を弁当と一緒に持たせていたことを思い出したんです」

 

彼女自身はお休みの日にみそ玉をたくさん作っておいて冷凍しておくそうな。

 

これって、いいねえ。確かに昼食のたびに市販の即席みそ汁を利用するより経済的だし、塩分のコントロールも出来る。
それに、弁当用でなくても、例えば衛生面からみそ汁を多く作れない夏場には家庭用に作ってもとても助かる。

 

歴史をひもとけば、戦国時代に陣中食としても重宝されたと伝えられるみそ玉。
皆さんもぜひ、試されたらよかろう。

 

夏季にみそ汁のデモンストレーションは珍しくない

「夏にこそみそ汁を飲もう」
これが決して私1人の個人的スローガンではない証拠として、夏場でのみそ汁のデモンストレーションは実は少なくないことがある。
もちろんそれは味噌を溶かして作る通常のみそ汁の他、携帯式やカップ状になった即席みそ汁も含めた上での回数だけれど。

 

夏場でのみそ汁のデモンストレーションは、大きく2種類に分かれる。
ひとつ目は、茄子やトマトをはじめとする夏野菜やしじみなどの季節の海産物とのコラボ。
ふたつ目は、お盆を過ぎた頃から始められる夏疲れ対策用のややボリュームのあるみそ汁(豚汁が多い)。

 

どちらのタイプも、デモンストレーション自体は受ける。
「へえ! トマトもみそ汁の具になるんや。トマトの酸味がみその塩気とよく合うね」
「しじみって、それからもいい出汁が出るね」
「日がな一日エアコンが効いた部屋でデスクワークするから、かえってあったかいもんが欲しくなるんやわ」
お客様からの評判は、なかなかによろしいのである。

 

ところが、試飲したみそ汁を気に入っても、それを作ったもととなったみそなり即席みそ汁なりを購入するかどうかどうかとなると、微妙。
少なくとも、通常のみその売上はイマイチな数字であることが多い。
即席みそ汁も、うーん、試飲してもらって返ってきた反応の良さほどには売れないと言うのが、本当のところ。

 

買わない理由で多いものは、前者の場合は「みそがまだ家にある」こと、後者の場合は「便利だけれど割高に感じる」こと、かな。

 

ここいら、我々デモンストレーターもまだまだ販売法を工夫しないといけないし、メーカー側にも商品の質向上も含めて改善を期待したいところだ。

 

夏こそ温かい味噌汁を。

昨日の記事で、こう書いた。
「仕事をした日数ぶんだけ仕事明けには休まないと身体が持たなくなった」。
では、その仕事明けに見舞われる身体症状とは、具体的にどんなものか。

 

幾つかあるが、突出しているものは、「尋常ならざる倦怠感」である。
まるで頭に鍋でも被っているみたいな重々しさと、意識と肉体がチグハグに動いているかのような乖離感をともなう怠さ(だるさ)。
これが1番強い。

 

特に夏場は顕著にあらわれる。記事中にそうなってしまう原因の推察を
「仕事場と外部との温度差による影響」
と説明文的に付け加えたけれど、医療関係者である知人の証言もあり、これは100%に近い確率で当たっていることと思う。

 

つまり、過度の寒さと過度の暑さによる寒暖の幅が、交感神経(緊張状態)と副交感神経(リラックス状態)のバランスを崩し、自律神経に異常をもたらしているのだ。

自律神経を正常に戻す方法のひとつは、身体を冷やし過ぎないことだとか。
暑いからとエアコンの効いた部屋に居続けたり、冷たい飲料をガブ飲みするなどとんでもないというわけだ。

 

ここでご登場願うのが味噌汁。汗で失われる塩分を補給してくれるし、汁の中に入れる具材次第では栄養素も申し分ない。
何より、汁物の特性で、とかく食欲が落ちがちな夏でもスッとハラにおさまりやすい。
時期柄、冷やしたタイプの冷やし味噌汁も悪くないが、下手をすればまたもや身体を冷やしてしまうことになりかねないので、ここは通常の味噌汁と同じく温かいうちか、せいぜい冷めかけのぬるい状態か。

 

もっとも個人的に感じるのだ。
夏に温かい味噌汁を飲んだ時にかく汗と暑さって、不思議とそんなに不快なものではないと。
そんな時、真夏でも熱いラーメンやうどんをフーフーと息を吐きかけながら、汗だくになりながらも美味しそうに食べる人の気持ちがわかる気がする。

休日はゴロゴロ〜休日の過ごし方も考える

いつの頃からか。
仕事をした日数ぶんだけ仕事明けには休まないと、どうにも身体が持たなくなった。
すなわち、1日だけ働けば1日、2日連続で働けば2日、休日とする必要があるわけだ(2日以上続けて働くのは2年ほど前からもう無理)。

 

休日の日は、起き抜けからゴロゴロ。ソファで牛のように寝そべったり、朝風呂に入ったり、好きな音楽に耳を傾けたりしながらウトウトしたり。
ただ、仕事をこちらに発注するメーカーによっては
「業務終了後は必ず翌日午前中までに業務の報告書ならびに経費精算書をファクスかメールすること」
と義務付けているところが少なくないし、食事の準備および片付けや洗濯など、毎日こなさなければ日常が止まってしまう野暮用もあるため、完全なるゴロゴロというわけにはいかないのが実際のところ。
要は、まあ、「予定を入れない」ということだな。

 

特に夏場は休日の過ごし方いかんで疲労回復度が違ってくるため、ひいては肝心の仕事日でのパフォーマンス効率すらも違ってくる。

 

これは、おそらく仕事場と外部との温度差による影響が大きいかも。
察しておられる方も多いだろうけれど、スーパーなどの店舗内は鮮度面を重視するあまり、つい過剰冷房になりがち。ものの20分もいれば何か羽織るものが欲しくなるし、そのままそこに居続けると指先の感覚がなくなってしまうほどの冷気に襲われるケースもしばしば。
なのに、ひとたび店外に出るや、今度はサウナ風呂に入っているような熱気が全身を包み込む。
この寒暖の幅からくる身体へのダメージ。
加齢と共に明らかに回復しにくくなっている。

 

ちなみに、娯楽が少なかった(と現在では想像される)江戸時代、庶民は休日には、銭湯でくつろいだり季節の花や鳥を愛でたりや茶屋で甘いものを食べたりして、近場でささやかな楽しみを見つけてリラックスしていたらしい。
夏場ではなくても参考にしたい。

桃を食べ過ぎると〜案件をきっかけに想像と推進

桃をデモンストレーションする案件が入ってきた。
デモンストレーター歴22年。
果物に限っても、キウイをはじめ、パイナップル、りんご、ブドウなどなど、数々の品種を扱ってきたが、桃は初めてだ。


桃で思い出す。
イギリス中世にジョンという王様がいた。失地王とも呼ばれ、失政と味方にすら不誠実なキャラクターから甚だ(はなはだ)評判が芳しくなく、その不人気ぶりは、イギリス国王史上最悪とされているほど。
この王様。実は大の桃好きで、一説によると、それがもとで命を失ったとか。


何でもジョン王。あるとき家来に命じて桃をたくさん持ってこさせ、パカパカ食べた結果、胃腸障害をおこしてそのまま昇天したそうな。


ホンマかいな、桃くらいで。確かに桃って傷みやすいし、その前に身体を冷やすから、食べすぎるとお腹にくることはあるものの、、、と勝手に疑っていたら、実際に食べ過ぎたら胃腸にダメージを与えるケースはあると、ネット上の医療記事に書いていた。


はあ、嘘ではなかったんや。


もっとも、ジョン王が生きた頃は、医学が現在と比べるとエエ加減だったろうから、もしかすると桃アレルギーによるアナキラーショックだった可能性もある(幼児が他の身体症状をあらわしていても一様に「ポンポン(おなか)が痛い」と訴えることが多いように、当時は痺れも麻痺も痒みも「胃腸障害」とひっくるめていたのではないかな)。


プラス、時代的に水の質は良くなかったと想像されるので、桃を洗う時の水に問題があったとかね。


デモンストレーション案件をきっかけに、思いがけぬ想像と推理をめぐらすことができたのも、楽しいことだった。

The Whole Truth 邦題「狂った真実」(ナンシー・ピガード作、宇佐川晶子訳)

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"The Whole Truth"(Written by Nancy Pickard, Translated by Akiko Usagawa)

 

邦題「狂った真実」(原作:ナンシー・ピガード、 翻訳:宇佐川晶子)

 

我が日本でもここ十数年来、親や教師など、子どもにとっては「権力を持つ者」からの性的虐待が表沙汰になって取り上げられるケースが増えてきたが、欧米に比べるとまだまだ甘いかな(だから、かのジャニーズ問題も見て見ぬふりをされてきたのだ)。

 

その意味で、この本はもっともっと知られて欲しいし、舞台を日本に移したリメイク・ドラマも検討してもらいたい。
子ども時代に受けた傷は、かくも深いのだ。

 

(あらすじ)
青空のもと、陽光眩しい、アメリカのフロリダ。レイ・レイントゥリーは、6歳の少女を誘拐して殺害した罪で起訴された。
レイは文盲で、過去のことはほとんど語らないか、語っても嘘八百を並べたて周りを煙にまく正体不明の青年。
だが、本編の主人公である作家(ルポライター)のマリーは、留置場で取材したレイが単なる犯罪人ではなくギターの名手でもあることに気付く。
実際、マリーの前で、レイはいくつかのコードやアルペジオを見事に披露したあと、「ディキシー」だの「スターダスト」だの聞かせ、最後に「イエスタデイ」を物悲しく奏でたのだ。
やがて、そのことが彼の辛い過去と結びついていることがわかってきて、、、。

 

レイの「過去」の酷さと、その環境のもとで成長して犯した所業のグロテスクさ。
それでも、そんな彼をもフロリダの太陽は照らしつづけ、その対比がまことに悲しいのだ。
もちろん、「イエスタデイ」の甘美なメロディも。

ドラマ「私は貝になりたい」(岡本愛彦 演出、1958年)

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「私は貝になりたい」(演出 岡本愛彦  1958年、日本。写真はYouTubeより)

昭和33年(1958年)。まだまだ庶民層にとっては高嶺の花だったテレビでの単発ドラマとして作られた、ヒューマンもの。
無実でありながら、そのことを証明出来ないばかりに戦犯として処刑された元二等兵の悲劇をえがき、後々、幾度か映画やテレビドラマにリメイクされた。

(あらすじ)
第二次世界大戦中。地方都市で妻と2人、小さな散髪屋を営む清水豊松のもとに召集令状である赤紙が届く。
内地での陸軍で訓練に励む豊松。ある日、上官に捕獲したアメリカ兵捕虜を銃剣で刺殺するよう命じられるが、人を殺す恐怖に怯えた豊松は実際には右腕を負傷させただけに終わる。
戦後、除隊した豊松はまた元の生活に戻り、店を大きくしようとささやかな希望に燃えていたが、、、。

戦犯にはA級、B級、C級とあり、A級には戦中の東條英機内閣入閣者で後の日本国首相となる岸信介もいた。
なぜ岸は無罪釈放され、軍隊の最下層にいた豊松はそれがかなえられなかったのか?
真相は謎。
ただ、これだけは言える。
いつの世にも、そしてどこの地でも、オカミの暴走や愚行のツケを真っ先に受けるのは、「善良であるがゆえに従順」な名もなき庶民なのだ。