人間、他人のことには何とでも言える

4日連続勤務の最終日。もう一踏ん張りと、気合いを入れた。

今日の担当商品はわさび。通常サイズで169円はちよっとお高いか? もっとも、そのぶん、風味もヨロシイのだけれど。

業務終了後、店の担当者に販売数を報告したところ、彼はただ一言。
「もっと売れへんかったん?」

ちょっと!
巡回に来た営業が話していたけれど、同じチェーンの他店で一足早くそのわさびのデモをした人は、108円の売価で販売数は〇〇個。これは私より1割少ない数なんだよ。ほとんど値下げしていない169円で、私は本当によく売り上げたと、自分で自分をほめてやりたい。

そもそもわさびなんて、菓子パンやジュースみたいに、ポンポン売れる商品ではない。
しかも、今日は売場に電源がなかったため、バックヤードで調理。これは決定的に不利だ。なぜなら、売場で調理すると、匂い効果で人が切れ間なく集まり、試食数も増して、売上に結びつくケースが多いからねえ。

確かに100個近く売れる店もある。ただ、私の体験では、そんな店と今日の店とは規模も来店数も大きく違う。
それに、その店だって、売価は今日の169よりずっと下げていたぞ。

まあ、人間、他人(ひと)がすることには何とでも言える生き物だわなあ。

となると、無責任な外野はほっといて、デモンストレーターは自分のデモンストレーションに集中する。
これが肝要かも。

フィギュアスケートで好成績をおさめる選手も、インタビューで語っているでしょ。
「自分の滑りに集中した」
と。

結果(順位)より過程(演技)を重視した結果なのだが、その判断は、時に肝心かなめな結果(順位)にもあらわれること、ある。

写真は、高野山奥の院
木や空や土などの自然に、カサカサした心が癒されること、よくあるね。

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