(注)6月12日に書いた記事。
痛い。
それでも、少しずつ軽減してきている。
あと少しの辛抱だぞ。
昨夜、TSUTAYAのネットレンタルサービスで送ってもらった、アメリカのテレビドラマ「ルーツ」を再観していた。
私が大学生だった頃に世界中でベストセラーとなり、ドラマ化されて日本でも放映された「ルーツ」。アフリカンアメリカンの血を引く作者のアレックス・ヘイリーが自らの祖先をたどり、一族の苦難にもめげず誇り高く生きた様(さま)をえがいたヒューマンもので、ドラマの方も見所満載だが、実は私、深く感動しつつもあれは二度と観たくない、いや観ないとずっと心に決めていた。
理由は?
あまりにも哀しく、切なく、やりきれなくなるからですよ。
人間って、思い込みが意識に染みつき、やがてそれがすり込み化されると、自分たちがとどまるステージ以外の者に、あんなに残酷になれるのだ。
これは、人種間だけではない。
病や障がいを持つ人者に対してもですよ。
なのに、私のその「ルーツ」に対する思いを聞いた夫は、
「俺は観ていないから、ぜひ観たい。借りてくれ」
と言う。
結果、44年ぶりに観た。
やはり、哀しく、切なく、やり切れない。
白人の黒人狩りに、拉致される側の黒人の協力者がいたことも、たまらなく悲しい。
「何で仲間を売るの?」
と、観ているこちらは叫びたくなるが、彼らにすれば、
「これだけ払うぜ」
と白人にカネを見せられ、
「いい稼ぎになる」
と乗っただけの「仕事」だったんだろうなあ、、、。
いや、こういうこと、他の世界でもあるんだぞ。
自分のことしか考えない、と言うより考えられない。
同じ黒人でも、部族間での対立もあったのかも知れないし。
根が深い問題だ。
対象をよく知らないがゆえ、その無知が偏見になり、自分たちないし自分たを取り囲む世界以外のものを傷つけているケースは、よくある。