(注)昨日に書いた記事。
今日、4月16日は、夫の誕生日。
奇しくも、あのチャップリンと同日である。
これらを見るにつけ、一昨年の秋に夫が大腸がんの手術を受ける近日に漏らした言葉が、ふと蘇る。
「生きていること自体が辛くなるほど痛い」。
そう。がん特有のかの痛みである。がん細胞は、かくも夫の身体を蝕んでいた。
聞いた私は、
「西洋医学であれ漢方であれ療術であれアーユルヴェーダであれ、どんな療法でもいいから夫の痛みを取り除いて欲しい。そして、再び大好きな土いじりや草木と戯れる日々を送らせてあげたい」
と、切に願ったものだ。
10時間半に及ぶ手術の後はダブルオストメイトとなり、その装着をめぐってのトラブル(皮膚のかぶれや便漏れなど)はちょくちょくあったけれど、がんそのものは転移も再発もすることなく、他に困った症状があらわれるわけでもなく、仕事も続けているし、がん罹患前とほぼ変わらぬ日常を取り戻している。
メンタル面も、ストーマに慣れないうちこそ
「.こんなカラダになってもうて」
と、時折り愚痴をこぼしていたが、ストーマ専門の看護師に相談したりオストメイトたちの会合に参加したりしているうちに
「どうこう言うてもコイツ(ストーマ)と一生つきおうていかなあかんのやな。そしたら、ちっとでもおもしろおかしく暮らさな」
と、考えが変わり、ずいぶんと前向きになった。
現在、仕事の合間には、自宅のガレージで、特に松を使っての苔玉やミニ盆栽作り、花作り、野菜作りを楽しんでいる。
我が家には土のある庭がないため、花と野菜はプランター及び鉢を使っての栽培に限られるが、それでも心より楽しんでいる様(さま)が、見ている側にも伝わってくる。
考えれば、がんに限らず、持病と共に生涯を歩まねばならない環境にいる人は、病気の重篤さは関係なく多いのではないか。
肉体の病気ばかりではない。精神の病気もそうだ。
仕事仲間に気分の変動が極端に激しい病気を患うご主人を持つ人がいて、彼女は、ぶっちゃけ離婚もよぎったが(なぜなら、ご主人、気分がハイな時は殿様か何かにでもなったみたいにエラそうにしたり散財したりして周囲の人間を困らせ、敵を作り、彼女はその尻拭いに追われていたからなのだ。反対にご主人の気分がダウンした時はある危険に怯え、気が休まる時がなかったと語った)、
「気分が安定している時は、本当に子煩悩な優しい人。子どもたちから父親を奪ってはいけない」
と、踏みとどまったそうな。
そのこともあり、また幸いにもご主人の症状に合う薬とめぐりあい、服用を欠かさないことでご主人の症状も安定し、家族仲良く過ごすことが出来ているとか。
病気と共存。
これは、長寿社会の課題の一つかも知れない。