生き残る商品を黄門様に学ぶ

 黄門様に関する投稿をし、続きは実際に黄門様のドラマをみてから書く予定
が、夫にチャンネルを占領されてしまった。
 野球。日本対韓国の試合。
 野球に限らず、球技に全く関心のない私には無念の思いだったが、ま、ムキ
になる必要は全くないわな。
 だって、黄門様のストーリーは、見事なまでにワンパターン。
 毎回毎回チェックしなくても、おおよその筋書きは想像出来るからだ。

 金欲と権利欲に塗り固まった悪徳商人と結託する腐敗役人。そのもとで苦し
む善良な民衆。
 ここいらあたりの物語背景も私が小学生の頃にみていた黄門様と同じなら、
黄門様のお連れである助さんだか角さんだかが、
「静まれー、静まれー」
 とのかけ声と共に水戸の家紋をガッと差し出し
「こちらにおわす方をどなたと心得る? 恐れ多くも」
 と一括し、麗々しく音楽が鳴って黄門様の顔がアップになり、悪者どもが
いっせいに
「ハッハァー」
 とひれふれするクライマックスも、同じ。
 お決まりの「正義の裁き」でオチがつき、
「ああ、めでたしめでたし。悪はやはり滅びるのね」
 と、視聴者が納得するところで終る点も、いっしょ。
 ほんま、何十年も同じパターンを繰り返しているのだ。

 でも、大筋は既成を踏襲していても、地名をはじめ、登場人物など、細かい
箇所は、毎回変えている。
 ここがポイント。
 消費者もそうだが、視聴者も基本的に保守的(だって人間だもの)。ドラマを
みるという「非日常」であるはずの行為にすら、無意識のうちに「安定」を
求める。
 それでいて、人間はわがままな生き物で、「安住」だけでは物足りない。何
かこう、少しだけ「安住」から離れたものも欲しい。
 テレビの長寿番組「水戸黄門」は、この心理を憎いほどまでについている
のだ。

 私たち、試食販売の世界も同じ。
 消費者の「保守性」と「ほんのちょっぴりの革新性」を満足させられる商品
こそが、生き残っていく。