車がなければ何も出来ない

 三月最後の仕事は、末日に行われた、奈良の生駒は白庭台での、M味噌
の新商品のデモ。

 生駒駅けいはんな線に乗り換え、白庭台で下車。北にまっすぐ向かう
こと五分。現場であるKストアの外観を見たとたん、
「あらあら。ここだったの」 
 と、つぶやいてしまった。
 なぜなら、外観で思い出したのだけれど、三年前の三月十二日にも、こ
の店にはチューハイのデモで来たことがあるのだ。
 ただし、この時は、生駒駅からバスに乗った。けいはんな線は、まだ開
通していなかった。

 「まわりは瀟酒なおうちばかりですね」
 三年前、昼の休憩時間に社員食堂で同業者と向かい合った私は、カップ
ラーメンをすする手を止め、言った。
「新興住宅地や。大阪のベッドタウン
 同業者は答えた。
「こちらでマイホーム持って、旦那は大阪まで通勤すんねん。奥さんは家
を守る」
「なるほど。それで新しいきれいな家が多いんですね。もっとも、交通の
便はよくないですね。バスしかないですやん。しかも便が少ない」
「やから、ほとんどの奥さんは車を運転しはる。でないと、普段の生活が
成り立たへんよ」
「まあ! 免許がない私は絶対に住めませんね」

 確かに。
 車がないと人間らしい暮らしが営めない。
 例えば、買い物にも、銀行に振込にも行けない。
 例えば、熱を出した子どもを医者にみせることも、塾や習い事の送り迎え
も出来ない。
 パートにも出られない。
 車。車。車。何事も車が必要。
 こんな土地に越したら、私など手足をもがれたのも同然である。
 と言って、この年になって今更免許を取る気にもなれず、ただ、住居地
近くに鉄道が開通してくれることを日々いのり続けるだろう。

 話を白庭台に戻そう。
 三年前に比べると、お客様が開けっぴろげになった気がする。
 三年前は試食や試飲に対して拒否的な方が多かった。その時の私の担当
がたまたまチューハイだったからではない。他の商品を扱っていた同業者
も嘆いていた。
 今回は明らかに違った。

 この変化を、けいはんな線の開通と結びつけるのは、行き過ぎだろうか?
 自家用車とバスしか交通手段がなかった頃と、電車が通った後との住人
の行動範囲は、違うはずだ。
 行動範囲が広がれば、ほとんどの人間は視野も広がる。
 ひいては、自分が許容出来る範囲も広がるのだ。