プロはもうめざさないけれど

八月一杯で現在の住居を引き払い、新居に移って落ち着いたら、また創作を再開したいと思う。
 二月にある公募で受賞して以来、心身がトリップ状態になり、まだ続いているから、じゅうぶん可能
だろう。
 
 プロになる気は、もはや全くない。
 新人賞をもらい、作家としてデビュー出来ても、活字離れがこうまで進行した今の世の中、文筆だけではとうてい食べていけないよ。並行して、別の仕事をせねば。
 だったら、書きたいことを書きたいように書いて、大いに遊ぼうではないの。
 趣味として割り切るのなら、もう高い金を払って文章のプロに作品を添削してもらう必要もない。
 イメージの世界で、遊んで、遊びまくるのだ。

 もっとも、
「いつか本を出したい」
 と言う夢があったからこそ、ものすごく辛い時期も乗り切ることが出来た。
 これは事実。
 夢や希望を持つのは人間だけが出来ることで、その心意気は大切にしなければならないと感じる。
 
 そろそろ自分の夢にも
「ご苦労様」
 と言って、肩の荷をおろしてやろう。

 この思いを、先日にランチしたメーカーの営業さんに打ち明けたら
「あ、それっていいっすね」
 と返ってきた。
 彼も、実は学生時代にロックバンドを組んでいて、プロをめざしたこともあったけれど、結局はサラリーマンになった。でも、近年のオッサンブームもあり、日曜大工ならぬ日曜ロックを目標に、本当にチマチマながら休日はギターに向かっていると言う。
「坊主はまだ小学生やけど、いつか一緒に合奏できたらええな。ジミヘンなんて、俺たちの世代でも聴かれます。あれ(息子さん)が高校生になっても、同じちゃうかなあ」

 何年前になるか。
 お客さんに、こう語った人がいた。
「私は店で出す定食のみそ汁は、カツオと昆布で丁寧にだしをとっていますよ。他の同業者みたいに、インスタントの液体みそなんか使いません。娘は大衆食堂なんやからそこまでせんでええよと言うけれど、私なりにこだわりがありまして。まあ、私の店で食事をしたお客さんの中で、またこの町に来た時に、『あそこで飲んだみそ汁は美味しかったなあ』と思い出してくれる人が少しでもいたら、いいんですよ」

 生きるとは、こういうことかも知れない。
 ほとんどの人は具体的なナニカは残さないままこの世を去って行っているように思われるが、決して
そうではない。「記憶」「思い出」という形で、皆、それなりのものを周りに残している。

 反面、一冊だけでいいから、本を残したいとの気もあきらめきれない。
 以前にも書いた。ネガティブほど本当はポジティブの塊。このことを伝えたくて。
 スピチュアルの専門家や心理学者などが高い位置から
「暗いのは損。明るくなりなさいっ。前向きにものを考える。それが幸運をもたらすのです。笑顔、笑顔ですよっ」
 と、もったいぶって生き方をお説教するのではなく、ネガティブにならざるをえなかった過程を持つ哀しさも苦しさも知っている身として、自分の体験を語りたいのだ(もちろん戯曲化して。その方がよりわかりやすいはず)。

 例えば、かつてネットの某オフ会で会った男性の中にこうこぼす人がいた。
「オレなんか、この体型だし、大学に行っていないし、話も下手だから、就職しても長続きしなくて」
 彼は、オフ会に参加したおばさまたちに怒られていた。
「あんた、それでも男かいな。そんなんやから、いつまで経っても仕事が決まらへんねん」
 そばで聞いていて、私は、
「彼がこんなにまで自信喪失してしまった歴史を知らずして、生き方に口出しする資格はないよ」
 と思ったね。

 ネガティブほど素晴らしい可能性を秘めている。
 これがわかったのも、試食販売の仕事に就いたから。

 この一文を読んでいる方で自分に自信がなくて悩んでおられる方、どうか元気を出してね。