テノールを担当した中国の男性歌手。
のっけから、有名オペラの某曲を歌い、その素晴らしい声で聴衆を圧倒した。
アンチクラッシックの人も、あの艶とボリュームは認めないといけないはずだ。
告白してしまおう。
私は十年前までクラッシックの声楽が大嫌いだった。
特に男声。
「どうしてこんなに大仰な表現の仕方をするのか?」
いつも思っていた。
胸を張り出し、両手を広げて歌う、あのスタイル。
それが一変したのは、偶然にも懸賞でチケットが当たった大阪フィルの「マタイ受難曲」のコンサートに行ってから。
これにはふせんがある。
が話題となった。
この小説には、バッハの「マタイ受難曲」が、思想的なバックボーンとして登場する。
小説に興味を持った私は、バッハのこの曲も聴いてみたいと思った。
に何気なく応募したら、当たったのだ。
生の声楽に初めて触れ、心の底より感動した。
自らの身体を楽器として扱う。
だだっぴろいあの会場で、マイクなしで歌う。
頼りになるのは、己の肉体と気力だけ。
そのストイックな姿勢に、理屈抜きで敬服した。
……なんて、マイクを使うポップス系歌手を決してないがしろにはしていないから、誤解しないで。
とは言え、シャウト系は男女を問わず苦手なんだけれど。
ファンの方には申し訳ないけれど、この春(だった?)に亡くなったロニー・ジェイムス・ディオなど、
最も不得意なボーカリストだ。
本題に戻ろう。
私は声を大にして訴えたい。
本物に触れる大切さ。
これは、私たち宣伝販売の仕事にも通じる。