フュージョン

はっきりしないと言えば、トーラクの「ソイミルク」がそうだったな。
 豆乳臭さがない豆乳ということで会社も大々的に売り出したんだが、何だか牛乳と豆乳のミックスのような曖昧な感じになり、お客様からはそっぽを向かれた。
 あれは売れなかったね。
 半年くらいで店頭からも消えた。

 パスコの超熟スティックもどこへ言ったのだろう。
 あれも、中途半端なイメージ。
 パスコで指名をよくもらっていた頃、よく担当したが、押し並べてどこの店舗でも売れていなかった。

 音楽もそう。
 一時、フュージョンなる音楽が流行したが、ジャズともクラッシックともロックともイージーリスニングともとれぬ奇妙なあのタイプの音楽に、リスナーはやがて不安を持ち、離れていった。
 中途半端。
 それにもともとすべての音楽は基本的にフュージョンなんだし。

 土曜日のテノールコンサートのラストを飾った、千昌夫の「北国の春」。
 演歌のジャンルに入るあの曲を、クラッシックの発声法で歌うと、全く違った印象の曲になる。
 ド演歌風の泥臭さは消えた代わりに、マーラーの歌曲「大地の歌」を彷彿させる、雄大で華麗な響き
になるのだ。
 メロディも歌詞も同じなのに、歌い方を変えるだけで、別の魅力を放つ。
 きっと、ジャズボーカルの発声で歌ったら、またそれなりの色になるのだろう。
 音楽とは、本物は、もともといろんな音楽の要素を含んでいるのだ。

 ただ、好き嫌いは否定できない。
 クラッシックの声楽がどうしても好きになれない人は、やはりあの洗練された「北国の春」は、抵抗を感じるだろう。

 この話、もう少し、しようね。