皆で子どもを見守ろう~今世紀の共同体

昨日の記事で、親に事情があって自分たち子どもばかりで過ごさざるをえない小学生を小学生を紹介した。
携帯画面に文字を打ち込みながら、ふと頭をよぎったこと。
「いや、待てよ。この私もそうだったぞ」。

物心つく頃から、父も母も働いていた(そうしなければ、生活出来なかったのだ)。
9歳年上の姉は、私が小学校に入った年には高校生。二年生にもなれば、受験関連の補習やら何やらで帰宅も遅くなる。
必然的に、小学校二年生くらいから、学校から帰ると家には誰もいないのが当たり前の日々。
私は、母が帰宅するまでの数時間を一人で過ごしていたのだ、、、と、ここで注意。
一人ではあっても、実質はそうではなかった。
実は、こんな牧歌的なカラクリがあった。

私が育ったのは岡山県東南部の農村。見渡す限り田んぼ田んぼばかりの中に工場が建ち始め、一家の主人はそこへ働きに行って家にいなかったケースが大半だったけれど、その妻や両親、すなわち、お母さんとじいちゃんばあちゃんは家で農業をしていた。
当然ながら、村の子どもは目につく。
しかも、時は1960年代。村落は一般にまだまだ「おらが村」意識が強い頃で、村人の子どもは誰しも、例えばサトウさんの子どもであると同時に村の子どもでもあった。
ある意味、村全体で子どもをみていた。

こんな環境だから、学校から帰って同級生の家に遊びに行くと、そこのおばあさんが、
「まっちゃん(私のこと)も食べんせえ」
と、ふかした芋や焼いた餅をおやつにくれる。
今日は母の帰りが遅いと言うと
「そんな時間まで待っとったらお腹がすくじゃろ。うちで晩御飯を食べて行きんせえ」
となる。
良くも悪くも共同体。
思春期になると、これが鬱陶しく感じられることも多々あったが、現在振り返ると、良い時代だったと思う。

これを、仕事仲間のある女性に話すと、
「いやー、私もせやったな。親は商店街で仕立て屋をやっていてね。いつもバタバタしていて、物心つく時分から私は兄と二人、商店街をウロウロしていた。でも、商店街のおっちゃんおばちゃんたちが面倒をみてくれて。コロッケ屋でたまに揚げたてを貰うたり、頭がエエことで有名やった散髪屋のお姉さんのところに行って宿題を教えて貰うたり。皆で大きゅうしてくれたんよ」。
彼女も、私とは違った分野での「共同体」に育まれたわけだ。

共同体。
核家族化が進み、二人家庭も一人家庭も増えた現在。
もう一度、見直されても良いのではないか。
と言うより、個人情報などのプライバシーを重視するようになった今世紀にふさわしい共同体のあり方が、今、真剣に模索されて良いのではないか。

次代を担う子どもは人類の宝。
その子どもの笑顔をいっぱいいっぱい見ることが出来る社会。
あなたも、私も、目指そう。