トイレは自分の心の状態をあらわすこともある

トイレネタはおしまいにするつもりだったが、どうしても書いておきたいことを思い出した。まだ引っ張りたい。

デモンストレーターになって一年少々経った頃、健康食品の宣伝販売で、近畿地方にある某遊興施設内のギフトコーナーを訪れた。

休憩時間、女子トイレに行って愕然。スゴイなんてものじやなかった。まさに、昨日書いた記事の中で古い友人が語っていた店のトイレの状態と、どっこいどっこい。

もっとも、当時その施設はリニューアルの真っ最中。いきおい従業員の人たちも落ち着かない気持ちで仕事をしていただろうから、心にゆとりがなく、そのことがトイレのあの荒れ様につながっていたのかも知れないね。

プラス、そこの管理部を仕切っていた事実上のボス女と後輩の女子社員たちの間に溝があることが、私たち外部の人間の目からもうかがえたので、それも無関係ではなかったろう。
すなわち、職場の人間関係がうまくいっていないのだ。
うまくいっていないから、職場の人間みんなが使う場所のことなど、どうでもよくなるのだ。

ちなみに、あのボス女。我が丸15年のデモンストレーター歴の中で、「二度とお会いしたくない担当者No.2」である。
やたら口うるさく、かつ、業務終了後に「ご苦労様」の一言もないほど居丈高な態度。その前に、人が食事をしているそばで、断りもなくプカーリと煙草を吸う無神経さには恐れ入った。
もっとも、いま振り返ると、どことなく苛立っていたような、寂しげな横顔だったから、彼女もストレスを抱えていたのだろう。
あそこのトイレのあの荒れ様は、彼女の心の一端をあらわしていた可能性もある。
あれだけ細かい女。通常の心理状態なら、かくも汚いトイレに我慢出来るとは、想像しにくい。

と、ここまで書いてきて、私もあらためて決めた。
我が家のトイレ。きれいにしてあげようと。
トイレは、身体の中を通った自分の「汚れ」を受け入れ、流してくれる場所。
そのトイレをきれいにする行為は、自分の「汚れ」を自分でも受け止め、見つめる行為なのだ。

写真は、昨日の現場に向かう途中で見かけた土地のお地蔵さん。

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