お箸の持ち方と鉛筆の持ち方〜育ちとは何かね。その2

「お箸の持ち方と育ちネタ」第2弾。

前我が投稿にコメントを下さった方々へのレスにも書いたが、刺し箸などの不快な箸の使い方をするのではなく単に持ち方がオカシイ、すなわちお箸を「正しく」持てない人は、最近では実は少なくないのではないか。
事実、わが町京都の某カルチャーセンターの講座には「お箸教室」なるものがあり、(講座が)ずっと続いているからには、それなりの需要があるということだ。

この箸の持ち方云々の議論は、小学校で教員をしている娘がいつぞやつぶやいた
「鉛筆をうまく持てない子どもが増えている」
現象と無関係でない気がする。

箸の持ち方が正常から外れていても余程ひどくはない限り食べ物を口に運べるように、鉛筆を自己流で持っても字や数字が書けないわけではないのだけれど、まあ、姿勢も不自然になるし、結果、肩や腕その他の身体器官に負担を与える可能性が高いからと、問題視されるのだろう。

とは言え、箸や鉛筆の持ち方、その一点だけを取り上げて人の育ちをジャッジするのは、あまりにも短縮的な発想だと思う。
一説によると、外国ではフォーマルな場以外はそんなことは全く問題にされないとか(筆記用具を変な握り方で扱う大統領もいる)。
日本だけが「型」にこだわるのだ、、、良い意味でも悪い意味でも。

20年来の試食販売の仕事で、さまざまな土地でさまざまな職業の、かつ置かれた環境や辿ってきた背景もおのおの異にする人々に接してきた私。
自分なりに判断した「育ちの悪い人」はこんな人だ。
「自分だけが得をしたい人」。

試食はタダ。自分の懐は痛まない。よって、それをゲットするために他人を利用し、時に押しのけるあさましい行動をする人は、現実にいる。
着飾ったマダムにもいる。
搾取だブルジョアジーだ階級だ何だと、ひところのサヨク学生崩れのインテリにもいる。

何より、現在の政治家や一部の企業トップ。
「育ちの悪い人」が、やけに多くないか?

結局、出自だの家柄だの親の社会的地位や経済力だの学歴だのマナーだの教養だの、そういう付属品ではなく、その人が持つ人間性そのもので「育ち」がわかるのではないかな。