そんなに疑似恋愛がしたいのなら

昨日の昼休憩は、現場内のフードコートで冷やし中華
 出来上がるのを待つ間、店内で売られていた新古書で、脳を活性化させることをテーマに書かれた
文庫本をパラパラとめくった。
 文面から判断して、中高年の男性を主なターゲットとして書かれたものであることは、間違いない。

 その中に
「町に出て見ず知らずの異性をお茶に誘ってみよう。異性に拒絶されないためには、あらかじめ服装
やしぐさ、声をかけるタイミングなどなどをシュミレーションしておかねばならない。これが脳の活
性化につながる。うまく応じてくれたなら、次は何を話すか。このことを考えるのも、脳を鍛える。
要は未知の異性とお茶を飲んで、疑似恋愛をすることである」
 いう内容の項があった。

 この著者、アホかと思ったね。
 知らないオッサンにお茶しようと声をかけられてハイとうなずく女なんか、いないよー。
 いたとしたら、よほど暇を持て余しているか、声をかけられた時点でオッサンに興味を持った女だ。
 ま、田村正和みたいな人なら、
「ーん、特にいま用事ないし、ちょっとお茶くらいならいいかな。ついでにケーキもねだっちゃお」
 と考える女もいるかも知れない。
 そうではない、いわゆるフツーのオッサンなら、声をかけようと対象をしぼった女性に視線を送っ
たとたん
「何やねん。きもいオッサンやなあ」
 とニラミ返されるのが、オチ。

 そんなに見ず知らずの異性に声をかけたくてたまらないのなら、そしてその異性と一杯のお茶を
前に語り合いたいのなら、私たち試食販売の仕事に就いたらよいのだ。
 高級日本酒などの一部商品をのぞき、
「前を通るお客様には全員に試食をすすめる」
 のが、試食販売の原則。
 腰を屈めてそろそろと歩いているお年寄りもいれば、三段腹を小憎たらしく突き出してノッシノッ
シと進む成金もいる。キムタクみたいな元イケメン風お父ちゃんもいれば、東方神起のメンバー顔負
けの足長族もいる。あらゆるタイプの見ず知らずの異性に「試食」という媒体を通し、声をかける
ことが可能なのだ。当然、自分好みの異性も中にはいる。
 
 当り前ながら、お茶は飲めない。それでも、オハナシは出来る。

「ご主人、どうですか、この味?」
「ふうん。おいしいっすね」
「でしょ? インスタントっぽくないでしょ?」
「まあね」
「ね? ご主人がこう言っているんですもの、奥さんもぜひどうぞ」
(と、ここで奥さんにも話しかける。これが大切。財布の紐は向こうが握っていることが多い)

「お兄さん、下宿してんの?」
「はあ」
「食事は外食? 自炊?」
「ほとんど自炊です」
「えらいね。でも、外食すると高くつくもんねえ……おばちゃん(私のこと)も下宿組だったの……。
ところで、これ、いいでしょ? レンジでチンだから、部活やバイトで遅くなって疲れて帰ってきて
もすぐに作れるし、一人暮らしで特に不足しがちな緑黄色野菜もたっぷり! お皿がいらないから後
片付けもなしよっ」
(関東言葉の人には関東言葉を使う)

 見ず知らずの異性と話し、トキメキの感情も持つことを疑似恋愛と言うのなら、私たちは日に何度
も疑似恋愛をしている。
 これは、男性マネキンも同じ。
 現に、よく顔を会わせる同業のH氏が、私にこう言ったことがある。
「今日、若い時の佐久間良子に似たお客さんが来てね。いや、僕、あの人の大ファンで、バイトで稼
いだなけなしの金にぎってあの人の映画を観にいっていました……東京オリンピックの頃です。ス
ターを観ることが出来るのは映画館の中だけでした。ああ、今日はエエ日になりそうですワ」
 H氏は六十代半ば。食品メーカー営業を定年退職した後、派遣会社に登録し、マネキンをしている。
担当商品は、焼肉をはじめ、餃子、豆腐、麺類など。いつも楽しそうに、イキイキと仕事をしている。
話題が豊富で、物腰も柔らかいのは、世代もライフスタイルも違う不特定多数の女性客と日々接して
いることと無関係ではなかろう。

 それにしても、中高年男性の疑似恋愛願望って、そんなに強いの?
 女性なら
「お父ちゃん(ご主人)といっしょにいると疲れるし、他の同世代の男性もけっきょくは同じようなも
んやし、娘や女友達とショッピングしたりランチしたりして、くだらんおしゃべりに花咲かす方が、
よほど気楽でええわ」
 と言う人が多いのだけれど。

 どうしても疑似恋愛をしたいオッサン。試食販売業に就きなさい。
 いろいろな女性と話すうちに女性心理にも精通し、長年寄り添ってくれた奥さんの気持ちも理解
出来るようになることだろう。