番外編~保津峡から投身した母親

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JR京都駅から山陰線に乗って京都内陸部の現場に向かう時は、
とうぜん保津峡を渡る。

「トンネルを超えるとそこは雪国だった」
とはじまる有名な小説があるけれど、
私たちにとっては、過去形ばかりか現在形でも
保津峡を超えるとそこは雪国」
である。
この峡を境目に、気温はぐっと下がり、
車窓を流れる風景も一度にローカル色を増すのだ。

この保津峡から投身した母親のことを知っている人が
どれだけいるのだろう。
かの金閣寺放火事件の犯人の母親。
警察に収監された息子に面会するため、
はるばる舞鶴から弟とともにやってきた。
昭和二十年代半ば。
現在とは比べものにならないくらいの「一日仕事」であったろう。

警察署で、しかし、息子は母親に会うことを拒否。
失意のうちに、署で簡単な事情聴衆を受ける。
「国宝に火をつけた。あの子は国賊です」

悲しみと怒りのうちに、帰路につく。
山陰線が保津峡に差しかかり、弟が少し眼を離した、そのすき。
デッキに出た母親は、いきなり、
この大きく口を開けた底知れぬ空間に向け、
身を投げ出した。
国賊」である息子の罪を己が死を持って償ったのである。

当時の世情は、犯罪加害者の家族にも容赦がなかった。
息子の犯行が明らかになった時から、幾多もの罵声を周りから
あびせかけられたに違いない。
神経はボロボロになっていたはず。

数百年のあいだ戦火をもまぬがれた金閣寺はその後再建された。
人の命はそうはいかない。

別の世界に行くそのまぎわ、
母親は峡の向こう側に何を見たのだろう。