非常時になると、人の本質は剥き出しになる。

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状況は相変わらず。
派遣会社から私にメールもファクスも電話も来ないように、派遣会社もエージェントやメーカーからメールもファクスも電話も来ないんだろ。


仕方がない。
こんな時もある。
このところ読み続けている「イタリア郷土料理美味紀行」(中村浩子著)なる本の中にも、破産したあげく規模を大幅縮少して再出発することになった老舗の経営者が著者に語る、こんな言葉が出てくる。
「困難な時期はいつだってあるものだよ」。


イタリアで思い出した。 


昨日、たまたまレンタルで、イタリアはヴェニスを舞台にした映画「ヴェニスに死す」を観た。
トーマス・マンの同名小説を、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティが映像化した傑作だが、このストーリーの背景には、当時のヴェニスでのコレラの流行がある。


コレラは、今日では、適切な治療が受けられる先進国であればさほど恐れる病気ではないが、当時はまさに死病だった。
それがゆえに、映画の中でのヴェニスの人々は、経済面での打撃を恐れるあまりに、オカミの指令のもと全員でそのことを観光客たちには隠しているのだ、、、ヴェニスは観光地。観光客たちにヴェニスから去られると、自分たちの生活が成り立たなくなるからなんだね。


マスクの転売といい、トイレットペーパーの買い占めといい、非常事態になると、その人の本質は剥き出しになる傾向があるね。
映画を観ていて、あらためてみとめた。


写真は、その「ヴェニスに死す」から(写真はMovie Walkerから)。


主人公がとりこになったタージオを演じたのは、当時、世界一の美少年と騒がれたビョルン・アンデルセンだったね。