自分たち看護師の存在意義を世に示したナイチンゲールの合理精神と行動力

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昨日の記事で、名作「ジェーン・エア」での記述からもうかがえるように、かつては看護師の地位が非常に低かったことを紹介した。


具体的には、当の「ジェーン・エア」内では、ロチェスター家に匿われた病人の世話をするグレース・プールが、次のように書かれているのである。

 


「プール夫人は、そういう仕事にかけては、よくまにあう、信用のできる女でございましたが、看護婦だの保母だのという連中にありがちな、一つの悪い癖がございました。というのは、いつもジンの壜(びん)を手もとに忍ばせていては、ときどき度を過ごしてしまうのですよ」(大久保康雄訳)。

 


ううむ、、、。
似た内容が、ナイチンゲールの伝記にもあったな。
だとしたら、
「名家の子女がそんな仕事に就きたいなんて!」
と、ナイチンゲールのお母さんやお姉さんが強く反対したのもわかるわ。


要は、少なくともビクトリア朝イギリスにおいては、女性が職業に就くこと、わけても看護や保育や教育などの人に奉仕する職業に就くことは、非常に卑しいことで、属する階級によっては恥ですらあったのだ。


そんな風潮のもと、「神の声を聞いて」看護師になったナイチンゲールは、しかし、単に慈愛精神が強いだけの女性ではなかった。
岩のような信念と意志と同時に、極めて現実的で策略的な面も持ち合わせており、プレゼンテーション能力にも長けていた。
すなわち、数字に強く合理的に物事を考える彼女は、自分たち看護師が病院に赴任する前と後の患者の死亡率を統計にとり、わかりやすくグラフ化してビクトリア女王をはじめとする権力者側に提示することで、世間に
「看護の仕事は立派なものだなあ」
と、自分たち看護師の仕事の価値を知らしめたのである。


この行動力と実務性。
今の女性も大いに見習わないといけない。


写真は、再びWikipediaからナイチンゲール
実は、彼女自身が看護師として現場(クリミア戦争下での野戦病院)に立ったのはわずか2年半。
その2年半で身体をこわし(従軍看護の仕事がいかに過酷だったか、そのことだけでもわかる)、あとはベッドの上で看護に関する統計資料をまとめたり、政府へ病院改革の嘆願書を書いたり、著作を著したりして過ごした。