若い頃にはわからなくても、時を経てわかってくる〜古典とはそういうもの。

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(注)9月20日に書いた記事。

 

学生時代、一般教養科目の1つとして履修した「西洋哲学史」の担当教官は、元はキリスト教学専門で、この方の指示により授業では聖書を概略的に読まされた。つまり、彼の独断と偏見で選んだ章に、彼の解釈付きで目を通したわけだ。

 

正直、ほとんどわからなかった。わかった、と言うより面白かったのは「出エジプト記」くらいか(ま、「十戒」のタイトルで映画にもなっているしね。海が真っ二つに割れて道が出来るシーンが有名な、あの映画)。

 

それでも、他の章も断片的ながら覚えている箇所があり、あれから45年を過ぎた現在、「ヨブ記」のように、今更ながらのように蘇ってくるストーリーもある。

 

若い頃の記憶力は侮れないね。

同時に、これが古典なのだろう。その時はわからなくても、歳月を経て、相応の人生経験も踏まえた上で、何となくわかってくる。聖書に限らず、古典というものはそんなものなのだろう。

 

日本の古典や論語老荘思想にも、よりよく生きるためのエッセンスが詰まっているね。古文も漢文も嫌いで、習っているその時は退屈なだけだったけれど。

 

写真は、映画「十戒」(Public Domain).