表情筋を鍛えよう

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 「こんな店、初めてやわ」
昼一番。
鍋物のデモのため、試食調理室で野菜を切っていた同業者が顔をしかめる。
「食べ方がエグいと言うかセコいと言うか」
「ほんま。人間とは思われへんね」
やはり別の鍋物の準備をしていた仲間が頷く。
「ここだけの話やけど、養豚場のブタの方がよほど行儀エエわ」

商品をお買い上げのお客様にお渡しする景品を袋に詰めながら、私が言う。
「そんな人たちも、職場や隣近所の中では『普通の人たち』なんですよたぶん

「それなのに大人数となると『普通ではない人たち』。
どうしてなんでしょうね?」

店名は伏せる。
我々の間では「客筋が良くない(=マナーが良くない)」ことで有名な店だ。
老いも若きも男も女も食べまくる。
麺類、パン、鍋、シチュー、ハム、ウィンナー、お菓子、飲料、キムチ、
イカの塩辛、納豆、栄養剤、果物、きのこ。
何でもござれ。
味などどうでもよい。
食べる。
目的はただ一つ。

二年ほど前だったか。
この店に卵の宣伝販売で来ていた同業者が嘆いていた。
高級であるその卵は、黄身の色の深さと盛り上がりが通常の卵とは違う。
それをお客様にわかって欲しく、
小鉢に割った卵を入れてラップをした上で試食台に置き、
「見本」とマジック書きしたシールを貼っておいた。
にもかかわらず、試食メニューの卵焼きを作る彼女が少し目を離すと、
見本卵のラップははがされる。
ずずずーと、はがしたお客様の口にそのまま入っていく。
生卵を下すその首は蛇のように長く伸びている。
信じられますか?
何度も勝手に呑み込まれ、彼女は見本卵を作るのをやめてしまった。

下品などと言う「表現」が白々しく感じられる。
こんな店で仕事をする時はいつもにも増して疲れる。

皮肉にも、かようなお客様が多く集まる店ほど、「クレーム魔」が多い。
些細な事柄でいちゃもんをつけてくるのだ。
かつて、この店でカレールウの販売を担当し、お客様の一人に
「試食のカレーライスに肉が入っていない。
タマネギばかりだ」
と、厳しいお叱りを頂戴した私は、そのことを身を持って知っている。

ストレス満載。
頬がひきつりかけ、顔面神経痛になるのではないかと思ったこともある。

この仕事を丸八年やってきた今日。
そういう時は一にも二にも発想の転換をすることが、
メーカーも店も派遣会社も自分も、
ひいてはお客様も守るのだということが、わかった。

怒りに代表されるマイナス感情を出しそうになったら
「表情筋を鍛える機会だ」
と想い、とにもかくにも口角を上げる。
あとはマッサージのつもりで、首や顔の筋肉をよく動かす。
そうこうしているうちに、血流がよくなり、心のコリもとれてくる。

写真の本を買い求めてまで表情筋のトレーニングをする人がいる現在。
仕事をしてお金を貰いながら表情筋が鍛えられる。
いい仕事ではある。