幸福になろうね

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仕事絡みとは言えホテルに宿泊する楽しみの一つに、「集中して読
書をする時間が持てること」というのがある。

先日も、奈良県は大和八木市で利用したホテルで、アガサ・クリス
ティ作のミステリー「殺人は容易だ」(写真。翻訳は高橋豊)を読破した。
 午後十時過ぎからページを繰り始め、十二時を少しまわった頃に
閉じたから、ざっと二時間、頭の体操をしたわけだ。

そのまま爆睡。質の良い睡眠だったせいか、早朝四時に目が覚め、
事務仕事を二つかたずけることも出来た。
それでも、頭の片隅を、物語の中の一文が常時グルグルとまわって
いたものだ。

「女は幸福になれないと、ひどいことを平気でやれるようになるものなんですよ」(第22章)

「殺人は容易だ」自体は、クリスティ作ではお馴染みの「古き良き
大英帝国の片田舎」を舞台に、極めて限られた人間関係の中で繰り
広げられる、犯罪ドラマかつ心理ドラマだ。
読み進むうち、探偵役の主人公以外の登場人物は、誰しもが犯人の
ようでありながらないようでもあるという奇妙な錯覚にとらわれ、
それがまた、行を追うスピードを早めさせる。
結末は、毎度ながら、意外中の意外。
「女は幸福になれないと、ひどいことを平気でやれるようになるも
のなんですよ」の一文に、すべてが集約されている。

ここで、思い出したのが、尼崎事件の主犯女性、S・M子。
あのカオ。無垢であったろう女学生時代の写真を見ても、白目を剥
き口をへの字に曲げてレンズを睨みつけている。自分を取り巻く周
に対する不信感と敵意に満ちているのだ。
「この人、何がこんなに気に入らないのかな?」
素直に感じてしまう。
そう。確かに彼女は幸福ではなかったのだ。

貧しい境遇に育ったわけではない(むしろ逆)。
親がいなかったわけでもない(ほったらかしにされてはいたみたいだが)。
良い悪いは別にして、自分の考えや行動を理解してくれる仲間がい
なかったわけでもない。
中退したとは言え義務教育以上の学校にも行かせてもらい、二度も
結婚しているからには、愛してくれる人にも複数めぐりあったのだ
ろう。
にもかかわらず、彼女は幸福ではなかった。

S・M子のセーラー服姿の写真が一般公開された時、親友は、遠い
昔におきた連合赤軍事件の女性幹部N・H子の中学校か高校時代の
写真が記憶の隅から蘇ってきたと語っていた。
驚いた。私もそうだったのだ。
新聞に掲載された、彼女の写真も強烈だった。ムスッとした、疎外
感と孤独感に溢れた表情。
両脇の同級生たちは、皆、かすかな微笑を浮かべているのに。

N・H子。昭和二十一年か二十二年の生まれで中学校から私立に通ったと言うから、当時としては裕福な家庭に生まれ育ったのだろう。
大学にも行かせてもらい、高い社会的評価を得ていた薬剤師という
仕事にも就いた。思想的に共鳴し、崇拝してくれる仲間もいた。恋
愛だってなかったわけではない。
ただ、彼女は幸福ではなかった。

性別に関係なく、人間は幸福にならないといけないと痛感する。
人としての権利であり、義務だとさえ思う。

幸福になる。
これは一昼一夜にしてなれるものではない。思考パターンを変える、すなわち心の深層もかかわってくるから、やはり地道な積み重ねは
必要なのだ。
それでも、幸福になろうと努力することは、今からでも出来る。