予想以上に長生きしてしまうことへの怯え

今日は、大阪は御堂筋沿線にある某スーパーで仕事。火曜日の朝にダメージを受けた胃腸は、昨日の夕食である湯豆腐(!)効果ゆえか、少なくとも業務に差し支えるほどではない。
それでもまだ痛みが残っているということは、もしかして、消化不良をおこしている過程で胃壁の一部にえぐれが生じたとか炎症をおこしたとか?

さて、朝食後、手帳を広げ、来月と再来月のワークスケジュールをあらためて確認。
ううむ、、、。
これ以上は仕事をいれない方が賢明かもなぁ、、、と感じつつ、いざ(仕事を)依頼されたら断り切れないのがいつものパターンならば、今回もそうなる可能性は大いにある。で、ついそうしてしまう理由の一つに、「予想以上に長生きしてしまった場合への怯え」があるんだな。

一般家庭に比べ、貯金額は極端に少ない我が家。かつ、夫婦共々、中途で勤め人を干されてしまったため、以後は収入の安定しないパートやら自営業やら派遣やら。支給される年金額もスズメの涙ほどもない。
すなわち、あまりに生き永らえてしまうと、単純に金銭的な面からも困った事態になってしまうのである。

ぶちまけてしまえば、70歳までは頑張って働き、その後は5年か6年で逝きたいと願っている。この計画なら、少な過ぎる貯金と年金でも、二つ掛けている個人年金が満期になることではあり、節約すれば、現在より水準を極端に落とさなくても良い生活をキープ出来そうなのだ。

すなわち、昔ながらの家庭料理と大衆酒を楽しめ、本が読めて、拙い文章が書ける環境があって、年に一度は貧乏海外旅行と、これまた年に一度は我が家の経済レベルからはチト背伸びした国内旅行(なぜ国内旅行だけがそうなのかと言うと、旅先で出される料理の問題。和食が大好きなので、日本国内でなら、ほんの少し美味しいものを食べたいのよん)が、許される。
コレ、コレ。

ところがどっこい。人生は計算通りにはいかないのが通例。75歳を超えても、さらに八十路に突入しても、何の因果か生きている(生かされている?)ことは、ありえないわけではない。

そうなった場合、どうするのか?
いきおい、「稼げるうちに稼いでおこう」との発想になり、結果、無理な日程を組んでしまう。

もっとも、これって、限界があるやね。

たった一つ、この局面を回避する良い方法が、わかった。
これは次回に。