一昨日と昨日、滋賀県南部の某店にてブドウの量り売り=品出し=パック詰めをしたことは述べた。
一夜開けた今日、ある童話が遠い記憶の底から蘇った。小学校4年生に読んだ有島武郎作「一房の葡萄」だ。
あらすじは、こうだったよね。
今で言うインターナショナルスクールに通っていた「僕」は、絵を描くことが大好き。同級生のジムが持っている絵具が欲しくてたまらず、つい盗んでしまうが、すぐにばれる。
担任の先生に問われた僕は号泣。そんな僕に先生は庭に実っていた一房の葡萄を切って与え、
「明日はどんなことがあっても学校に来るのですよ」
と諭す。
翌日、登校した僕にジムは笑顔で走り寄り、先生のところに連れていく。そこで、二人は仲直り。
そんなジムと僕に、先生はふたたび一房の葡萄を、今度は二つに切って与えた。
「許す」ことの大切さをえがいたこの話。コロナ蔓延で、誰それが(コロナを)うつしたとか、近場のドライブですら菌を撒き散らすと責められる昨今、とても参考になると思わない?
私も含めみんなギスギスして、自分以外の者の落度を過剰に攻撃する。それだけ切羽詰まっているのだけれど、考えてみれば、落度が許されない社会は息苦しいよね。
みんな人間。完璧じゃない。
ちなみに私は現在63歳。この童話を読んだ時から、54年の年月が流れている。
それでも、何かの拍子に、こうしてふっと思い出すことが出来るということは、生育期での読書体験の大切さをあらためて知った気がする。